→純粋に聖像破壊的なレイアウトと純粋に偶像(アイドル)的な美少女、という組み合わせだと思えば、その背徳感も納得だなと
2014-11-08 09:26:01よそから見ればひとからげに「スイス・スタイル」だけど、当事者としてはバーゼル(ルーダー、シュミット)とチューリヒ(ミューラー=ブロックマンら)があって、という話のなかで、室賀さんが「バーゼルのデザイナーと話してるといつもチューリヒの悪口を聞かされて」という話をしてて(笑)、→
2014-11-08 09:29:37→ラース・ミューラー氏の解説によると、ミューラー=ブロックマン(チューリヒ)がNeue Grafikを作るときルーダー(バーゼル)らを招こうとしたんだけど、他のメンバーの反対で立ち消えになったという経緯があったのだそうな。→
2014-11-08 09:32:47→その理由はバーゼルの人たちが「主観的すぎる」ことだったそうで。たしかにヘルムート・シュミット氏にお会いしたときも彼のタイポグラフィは「内容が第一(text first)」bit.ly/113wUF2 とおっしゃっていた。→
2014-11-08 09:36:38→ subjectiveという言葉は「主観的」であると同時に「主体的」「主題的」でもあるので、たぶんシュミットさんの言ったのはそういうことだと思うんだけど。→
2014-11-08 09:40:00→一方のobjectiveも「客観的」であると「客体的」の意味でもあるので、チューリヒの人々のいう「objective」をとらえきれてるかどうかちょっと心もとない
2014-11-08 09:40:09室賀さんが「しょくじに根ざした」デザインと言ったとき最初脳内で「食事」と変換してしまった。「植字 typesetting」ね
2014-11-08 09:42:45で、植字工房ということで言えば、チューリヒの人々が目指したのは「精神を理解できれば誰でも(国際的に)再現できる」デザイン、ということだったんじゃないかと思う。ある限られた大きさのサンセリフの活字ひとそろいさえ工房にあれば、何でもできる、という→
2014-11-08 09:44:53→それを室賀さんはエンジニアリングだ、といっていたけど、それはちょっと違うような気もする。確かに究極のできばえを目指すという点では似ているけど、土木工事には定まった完成という目標がすでにある一方で、Neue Grafikのような仕事はそうではない→
2014-11-08 09:47:16→つまりエンジニアリングは「人間が定めた目標に近づく」ことで、チューリヒの人たちの目指した客観性・国際性というのは「神が定めた目標(真善美)に近づく」ことじゃないだろうか。Neue Grafikにポエジーがあるとしたらそこが根源だと思う
2014-11-08 09:49:40セッションを通じて「ポエジー」という言葉はキーワードのひとつだったと思う。もともと自分の問題意識に、今のデザインは「スタイル」があって「ポエジー」がない、1980年から1995年の間のどこかでその転換が起こってるというのがあって、いろいろ考えさせられた→
2014-11-08 09:54:24プロダクト・ポエトリーは果たして外面だけポエトリーなのか、あるいはポエジーをつかみそこねているだけなのか、とか。→
2014-11-08 09:58:24→まんがのトビラのアオリを編集者はたまに(諧謔をこめて)「ポエム」と言うんだけど、やはりそこにも「外面だけのポエム」という問題意識があって、そこには「あるべきポエム」が想定されている気もする
2014-11-08 09:58:58植字の話に戻ると、現在「デジタル」フォントは事実上無段階に拡大縮小できるので、123.45Qみたいな大きさも簡単に実現できる。その意味ではデジタルフォントの運用ってとても「アナログ」的。写植(写真製版)もだいたいはこちらに近い→
2014-11-08 10:00:59→一方で鉛活字の「植字工房」ということを考えると、そこには段階ごとの限られたポイント数(10、11、12、14、20……)の活字しか用意されてないわけで、実は運用面ではとても「デジタル」になるのが逆説的で面白い。→
2014-11-08 10:05:27長ツイすいません。おわりです。復刻版Neue Grafik→amzn.to/1GzcjbQ 「言語」のところに「ドイツ語, 英語, フランス語, ドイツ語, 英語, フランス語」とあるのが実態を正確に表していて面白いw
2014-11-08 10:09:39