漱石と「た」

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It happens sometimes @ElementaryGard

『底本 柄谷行人集1 日本近代文学の起源』。今や古典。各外国語版用のまえがき集のほうが面白い。「少年よ大志を抱け」な北海道開拓がアメリカから導入されたものであることに着目して、それが朝鮮併合の伏線ともなったと指摘。そうやねそういえば。

2014-12-01 12:54:19
It happens sometimes @ElementaryGard

明治に漱石らによって模索された「写生文」が「た」の否定のうえにあったという指摘は新鮮。柄谷は書いていないけど、フランス語の小説が単純過去の否定&反過去形の重視に傾いた(サルトルとかの時代ですが)のと対応しているように思える。

2014-12-01 12:57:03
It happens sometimes @ElementaryGard

>さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生(は)えていていっこう要領を得ない。

2014-12-01 13:20:44
It happens sometimes @ElementaryGard

>こっちがいくら歩行(あるい)たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨(にら)めっ子(こ)をしている方が増しだ。 夏目漱石『坑夫』から引用

2014-12-01 13:21:18
It happens sometimes @ElementaryGard

柄谷はこう分析。 >「た」が或る一点からの回想としてあるとするならば、漱石は「た」の拒否によって、全体を集約するような視点を拒んでいる。

2014-12-01 13:22:52
It happens sometimes @ElementaryGard

>それはまた、確実にあるようにみえる「自己」を拒むことである(右の文では「私」が抜けている)。

2014-12-01 13:23:45
It happens sometimes @ElementaryGard

>こうした「現在形」の多用は、「写生文」一般の特徴である。 なるほど。面白いです。

2014-12-01 13:24:45