《伝統文化の保存は、選択の結果である》

自己ツイートをまとめました。 人間は、過去を意識的・無意識的に脚色します。 「伝統文化」とされているものは、「過去の文化の一部にすぎないもの」だという事を説明しています。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

真剣に、科学的事実として断言するが。 311前に、福島県中通り農村の「文化的伝統継承」は断絶していた。 昔話、民俗芸能、ムラ祭り、「寄り合い」、講、など。 その中で、いわば「ものずき」が選んで残したものが、一旦断絶したものを掘り起こして「再興」しただけだ。

2014-12-06 16:53:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「文化的伝統継承」がどれだけ困難なのか、検証可能でわかりやすいもので確認する。ただし、集落や大人の文化ではないが。 私が卒業した県立福島高校では、応援団が1年生を脅しながら教える応援歌講習というものがある。その応援歌を記録したCDがあるのだ。 @karitoshi2011

2014-12-06 16:56:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

敗戦後に、応援歌が整備された段階の応援団だったOBに応援歌を歌ってもらい、CD収録時の応援団が「継承」した応援歌と合わせてみたところ、歌詞こそ変わらないが、テンポもメロディーも相当に異なっていた。途切れずに毎年「継承」しても変質するのだ。 @karitoshi2011

2014-12-06 16:58:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県立福島高校は、私が生徒として在籍した当時は男子校、現在は共学校になっている。しかし、応援団が脅す応援歌練習は継続され、私が知る限りでも講習の為に、不登校になった生徒もいる。そこまでの代償を支払っても、文化の継承は難しいのだ。 @karitoshi2011

2014-12-06 17:00:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

農村における伝統文化とは、農作業に関するものが数多い。今時、手で植えて手で刈り取る稲作を、集落全体で実施している場所は、福島県中通りにはないはずだ。当然、農作業が変化すれば、伝統文化も不要になる。兼業農家が機械植えするのに「田植え踊り」はいらない。 @karitoshi2011

2014-12-06 17:03:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

コメの収穫も、兼業農家がコンバインで行ったり、JAに委嘱された人物が代理で行ったりする。「収穫の祝い」も不必要だ。 祭りの場になる神社の維持に掛ける金も、不必要だと感じる住民も増える。 「民主主義社会」では、住民に強制参加させるのも難しい。 @karitoshi2011

2014-12-06 17:07:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「農村文化の伝統維持」の前提は、関係住民の全員参加だ。しかし、そういう強制力は、薄れていく。祭りに参加しない住民にはそれなりの後ろめたさと仲間はずれ感は持たされるが、それでも祭りに参加しなければならないほどの強制力は持てない。 @karitoshi2011

2014-12-06 17:16:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そして、完全に農業から離れた世帯が混在するようになると、 「農村文化の伝統維持」は、不可逆的に壊れていく。 現金収入だけを計算したら完全に農業から離れた世帯は、 農業も行う世帯と比べて最下層にはランクできなくなる。 そういう産業構造に日本は変化した @karitoshi2011

2014-12-06 21:22:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

農業から完全に離れた世帯にとっては、農業に由来する「伝統文化」を継承する必然性はない。時間や資金を「伝統文化」の維持の為に使う重要性も持ち合わせない。 日本の産業社会は、かつての「農業村落共同体」の代替になる「企業家族主義」を組み込んで成長した。 @karitoshi2011

2014-12-06 21:27:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

いわゆる「高度経済成長」の途中で、 日本社会は新しい「企業家族主義」幻想を国民に植え付けて、 都市生活者だけではなく、地方生活者の中にまで、新しい共同体の幻想を植え付けた。大手企業が下請け企業まで巻き込んで、擬似共同体幻想を植え付けた。 @karitoshi2011

2014-12-06 21:31:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

大手企業の会社敷地や近隣の場所で、大手企業と関連企業、その企業の懇親会が取材する「夏祭り」や「運動会」が開催される。企業の所在地周囲が住宅地だと、その住宅地の町内会まで巻き込むことも珍しくなかった。 農業村落共同体に代わる擬似共同体の祭りだ。 @karitoshi2011

2014-12-06 21:44:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そこまで突出した企業がない地域では、地域の商工会が祭りを開催した。 例えば「花火大会」、または「盆踊り」。商工会加盟の企業が、企業の大きさに応じた「協賛金」を拠出する。 地域住民は、年に1回か2回の祭りを、村祭りの代わりとして受け入れた。 @karitoshi2011

2014-12-06 21:47:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

商工会の祭りには、華やかな「光」が灯されていた。 商工会青年部が祭りを盛り上げ、出店を出した。 場所によっては、テキヤによる露店も沢山並んだ。 農村にあった神社の祭りは、徐々に、しかし確実に、衰退していった。 @karitoshi2011

2014-12-06 22:00:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

神社の祭りの衰退は、「伝統文化」の衰退をも意味した。 そこに暮らす人が「伝統文化」を保存するための「保存会」を立ち上げなければ消滅するほどに、衰退した。 そのままでも持続するものは、わざわざ「保存」する必要はない。 「保存会」の発生は、衰退が前提だ @karitoshi2011

2014-12-06 22:03:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「保存会」によって保存される「伝統文化」は、 維持される存在としての文化とは、意味合いが異なる。 もはや「現役」として継続する価値はなくなったものなのだ。 「保存」にもそれなりの意味があるとは思うが、 子どもたちが保存に協力する必然性には疑問がある @karitoshi2011

2014-12-06 22:11:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

保存する段階で、 「好ましくない」と「保存会」が判断したものは「保存」から除外される。 例えば、現時点の価値基準から考えて好ましくないもの。わいせつとされる可能性があるもの。 何を保存するか選択が行われる。 選択されたものだけが保存される。 @karitoshi2011

2014-12-06 22:23:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「祭り」に比べると頻度が低いが、 一部だけ保存された「伝統文化」がある。 各種の「講」だ。 おそらく、40歳代以下の人の多くにとっては、「講」が敗戦後の日本にも多数存在したことさえ、知識として定着していないだろう。 「頼母子講」など、合法性も微妙だ @karitoshi2011

2014-12-06 22:27:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

比較的残っていた時間が長いものが多い「講」は、「庚申講」だろうか。 「講」の多くは、参加者だけが楽しむことができる「祭り」であった例も多い。 「講」で行われることも、語られる会話も、多くは部外者には秘密にされていた。 一部の保存された「講」を例外に @karitoshi2011

2014-12-06 22:41:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「農村共同体」の意思決定機関である「寄り合い」についても、 もはや「保存」されていないので、殆どの人の意識に残っていない。 私が知る範囲の「寄り合い」では、「家の格」とか富裕度によって、 発言力が異なっていた。 1人1票とは全く異なる内実だった。 @karitoshi2011

2014-12-06 22:45:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

村落内の発言力を高めるには、 社寺に対する寄付の額を高くする。 共同体の行事にも他の世帯よりも高額を支出しする。 共同体内部での贈答でもより価値が高いものを贈る。 共同体の行事には残らず顔を出す、 「人徳者」である受け答えを続ける。 などが必要だ。 @karitoshi2011

2014-12-06 22:53:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

村落共同体内部の決定は「寄り合い」という会合で決まることが多い。 「寄り合い」に出席できるのは、各戸1名、戸主だけだ。 戸主は男性のみである場合が多く、女性のみの世帯からはだれも「寄り合い」に出席できない(発言権がない)ことも多かった。 @karitoshi2011

2014-12-06 22:59:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「寄り合い」の決定は、表面上は全会一致だ。 しかし、実際には「上座」に座る人間の意向を参加者全員が慮って、 「上座」の人間は、それほど自らの利害が関わらない議題では、参加者一同の意向を重視した発言をする。そこでは「一同の考え」の代弁をする。 @karitoshi2011

2014-12-06 23:23:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その代わり「上座」の人間にとって大きな利害関係があるものや、「上座の人間」の価値観上どうしても譲れない場面では、自らの意見を押し通す。 今度は、他の参加者が「上座」の人間の意向を重視する。 その結果、他の特定の住民に大きな損害が発生するとしても。 @karitoshi2011

2014-12-06 23:28:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この「寄り合い」のような「伝統文化」が存在していたことを 記録、記憶、保存するという動きは、殆ど存在しない。 一部、民俗学の中で記録されるだけだ。 (内容や特質としては、非常に似通った状況が現代の日本にも存在するとしても)国民の記憶には残されない。 @karitoshi2011

2014-12-07 00:10:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

存在したという記憶さえ残っていない「伝統文化」は、既に再現の方法がない。 失われ、保存の方法もない「伝統文化」が存在する。 しかし、すべての「伝統文化」を保存するなど、技術的にも物量的にも不可能だと私は考える。 「保存」は選択の結果だ。それで良い。 @karitoshi2011

2014-12-07 00:21:14