『マックス・ヴェーバーの犯罪』論争を読む(4章)
- sennkyoushi
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『犯罪』4章での羽入の主張
『犯罪』第4章ではヴェーバーがフランクリンの著作を引用する際に述べた評価「宗教的なものとの直接の関係をまったく失っているために―われわれの主題にとっては―『予断が入らない』という長所をもっている」(『倫理』p40)が(続
2014-12-13 06:21:34続)大塚久雄による『倫理』訳者解説中の文言「フランクリンの思想は、内容的にはまだまだピュウリタニズムないしカルヴィニズムの思想的残存物がいっぱいつまっていますが、しかし、形の上ではもう宗教から解放されはじめている。ちょうどそうした境目に位置している。ですから、(続
2014-12-13 06:21:56続)そうした短文は、問題をさらに深く追求していくため格好な材料だというのです」(『倫理』p386)と食い違うことを端緒にヴェーバーがこの点で資料操作を行っていると羽入は主張する
2014-12-13 06:22:05その最大の根拠としてフランクリンの著書『若き職人への助言』ではヴェーバーの引用した部分の次の段落で「正直にして得られるものは残らず手に入れ、得たものは残らず節約する(必要な支出は別として)人は、必ず富裕となるだろう。―世界を統べ治め、正直な努力によって祝福を求める者の願いを(続
2014-12-13 06:24:11続)聞きたまう神が、ほむべき摂理のうちに、それと異なる預定をなしたまわないかぎりは」(『犯罪』p234 大塚久雄による訳の引用)と述べられていることを挙げ これは予定説の神に言及したものでありヴェーバーは自分の主張にとって不利になるからここを引用しなかったのだと羽入は述べる
2014-12-13 06:24:28↑本来は『倫理』p42の「どんなに小さな支出でも積み重なれば巨額となることに気づくし、また何を節約できたか、将来は何を節約すべきかが分かるようになる。……」の後に以上の記述が続いていたのにヴェーバーが引用する際にカットされてしまった(より正確に言えばフェルディナント・キュルンベルガーのエッセイ『アメリカ文化の姿』でこの場所でカットして引用されていたのをヴェーバーが踏襲した)
↑ただしフランクリンがこの箇所で予定説の神に言及しているからといってフランクリンが予定説を信じているわけではない(単に締めくくりの決まり文句としてこう述べているだけかもしれないしそもそもフランクリンの著作の他の箇所からフランクリンが予定説の信奉者でないことは明らかなので)と羽入は述べている(『犯罪』p254)
またこの箇所が予定説の神に言及したものでなければ「宗教的なものとの直接の関係を」もった文言だとは言えないと羽入は考えているようだ
羽入に対する批判
『犯罪』第4章に対する批判として 羽入が主張の根拠として持ち出したフランクリンの文言は原文では"He that gets all he can honestly, and saves all he gets (necessary expenses excepted), (続
2014-12-13 06:26:54続)will certainly become rich, if that Being who governs the world, to whom all should look for a blessing on their honest (続
2014-12-13 06:27:16続)endeavours, doth not, in his wise providence, otherwise determine."であり
2014-12-13 06:27:50①大塚訳で「預定をな」すと訳されている語は原文ではpre-destineやpre-determineではなくdetermineである点(『末人』p367 『方法適用論』p281)
2014-12-13 06:28:13②予定説では「神は人類のうち永遠の生命に予定された人々を、世界の礎の据えられぬうちに」(『倫理』p146 ウェストミンスター信仰告白からの引用)永遠の生命に予定したのにフランクリンの文章では"doth not [...]determine"と(続
2014-12-13 06:28:36続)現在形になっている(『解釈問題』p281) の2点によりこの箇所は予定説の神に言及したものではないと折原及び茨木が批判している
2014-12-13 06:29:05また私見では③たとえ上記2点の難点がなかったとしても文脈上フランクリンの主張は「(私の信じるところでは)神は予定説的な神ではないのだから正直[...]な人は必ず富裕となる」という反語的なものになるのだから結局は予定説の神を否定する内容となると思われる
2014-12-13 06:30:29この折原の批判に対して羽入は折原によるフランクリン神観の要約「別様の『決定』が下されることもないわけではなく、必ず『成る』はずのものが『成らないことも』ある、あるいは、『成った』ものも『失われかねない』」(『末人』p367)を引用して「これが『予定説の神』でなければ、何が(続
2014-12-13 06:31:29続)予定説の神になるのか」(『その後』p432)と反論している ヴェーバーが著書中で描く予定説も改革派長老派のそれとずれていることがよく指摘されるが羽入の予定説理解はさらにずれたものであるように思われる
2014-12-13 06:31:38