井上正人氏による「サブカルチャー史という枠組み」:「買ったもの」と「楽しんだこと」との差異

「サブカルチャー」という括りがあまりに「消費」に枠づけられすぎているのではないかという指摘など、個人的に興味深く拝読したので、備忘としてまとめました。
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inoue masahito 井上雅人 @inounymas

サブカルチャー史みたいな言い方が馴染めないのは、そういう枠組で語られるのが、当時若者は何を買うことができたか、に終始していることが多いからだ。もちろんそういうのも大事なんだが、それが「サブカルチャー」とイコールではないし、若者文化の全体でもないし、ましてや大衆文化の全体でもない。

2015-01-03 15:00:49
inoue masahito 井上雅人 @inounymas

現在の生活への思い込みから、楽しむことは、お金を払うこと、という前提で過去も見てしまうが、現在だってそうとも限らない。カメラを買うことと写真を撮ることは全然違うことだし、同じように、服を買うことと着ること、雑誌を買うことと読むこと、音楽を買うことと聴くこともちがう。

2015-01-03 15:12:26
inoue masahito 井上雅人 @inounymas

現在の生活だって、楽しむということは、買ったものを素材として謂わば加工すること、と言ってもいい場合も多いが、買うものが同じでも加工の仕方というか楽しみ方は、時代と個人によって違ってくるわけで、売ってたものを並べる以上のことをしないとサブカルチャー史にはならないよね。

2015-01-03 15:18:03
inoue masahito 井上雅人 @inounymas

それ以上に、そもそも売っていた物の全体が違うわけで、現在も若者向けとして売られている物だけを、サブカルチャー史の対象として取り上げるに足るとするのはまずい。当時、何を手に入れることができ、何を実際に購入し、そのなかでどのような位置づけであったか、まで示してくれないとなあ。

2015-01-03 15:21:44
inoue masahito 井上雅人 @inounymas

というか、まず、何に対するサブなのか、がよく分からないんだよね。メインストリームに対するサブなのか。大きな文化のなかの、一部門としてのサブなのか。

2015-01-03 15:24:20
inoue masahito 井上雅人 @inounymas

でも「サブカルチャー史」として実際に語られていて、そうだよねそういう歴史もあるよね、という合意が得られている以上、たぶん何かそういう輪郭はあるのだろうなあと思う。馴染めないし、よく分からないからといって、無駄で無意味な歴史観とは思わない。

2015-01-03 15:26:19