今26巻読み返してて気づいたんだけど、「自由に走れ」の回想から「いけよ!!山岳!!」のあと、真波が「「自由」 自由に!!」ってかっこ付きで一回自由って言ったときは東堂の「自由」の引用だけどそのあとの自由は真波の中で東堂の言葉が咀嚼されての自由だから、この時点で真波は自由に走文字数
2014-12-03 22:56:14東堂の言う「自由に走る」っていうのは「選択の自由」だと私は解釈してるから、26巻で真波が「自由に走りますよオレ!!」って言ったときに一度目の選択で「ギアを上げて走る」を選んで、二度目はギアを10段目に上げた後の福ちゃんと東堂から言われた時の回想時に二度目の選択が行われてると解釈。
2014-12-03 23:11:26結局最後まで真波は「ギアを上げて走る」を選択しているし、東堂は「自由に走れ(=ギアを上げないか、上げるか好きに選んで走れ)」の言葉で真波が「ギアを上げて走る」を選ぶであろうことを予想していたしそれが最良だと判断していた。
2014-12-03 23:13:20東堂は「ギアを上げて走れ」とは言わずに「自由に走れ」と選択肢を並べることで、真波に答えを選ばせてるし「クライマーは登って証明する」と一見真波を擁護しているように見えて実は「結果が出せなければ証明できない」と突き放しているからなかなかシビアな先輩なんだろうな。
2014-12-03 23:14:59「オレたちは強い」といって真波を送り出したってことは、その真波に箱学のすべてを預けたということになるんだろうけど、対して真波はチームというものを意識せず走ったという点で…ってことかな。ううん。
2014-12-05 00:04:13真波にとって、ギアを上げるか上げないかは「善く生きる」か「正しく生きる」かということなのかな。 そして飽きずにまた始まる真波考察。
2014-12-05 00:33:05真波山岳(16)、真波山岳(17)、真波山岳(18)。 私たちは悩み苦しみ歓喜しながら子どもが大人へと成長する過程を見ることができるんだと思ったら、真波山岳(16)を抱き締めてやりたいし真波山岳(17)を応援してやりたい。そして真波山岳(18)に夢を託したくなる。
2014-12-06 12:33:32夢を託したくなるってのは、東堂の「いけよ山岳!!」に近い精神かも。東堂はもしかしたら真波山岳(18)を見据えていたのかもしれない。言い過ぎか、飛躍した。
2014-12-06 12:35:08自分の中での真波と東堂の関係性がふわっふわしてるんだけど、真東や東真では全くないし、かといって真波+東堂のようなドライなものでもないし、真波&東堂のような熱いものでもない。先輩後輩の関係も何か違う気がする。なんだこれ。
2014-12-07 14:20:06真波の中に息づく東堂って感じ。東堂は真波を形作る一部というか、なんというか。そして真波は東堂に内包されてもいるという。伝われこのニュアンス。
2014-12-07 14:21:39東堂の真波へ対する「自由に走れ」というアドバイスと、黒田に対する「徹しろ」というアドバイスは対をなすものだなと。各人の走りにあったアドバイスを出す東堂本当にズルいから明日発売のスペアバイクすごく楽しみ。
2014-12-07 14:36:02とりあえずまずは衝撃を受けた真波の「興味」っていう点。真波の手嶋に対する興味のなさがさ、本当に…。話聞かないわ遮るわで手嶋のことを道端の石ころ以下のレベルでしか見ていないような。
2014-12-08 22:46:34でももともと真波って他人に対して興味をもつことがない、あるいは自分の世界にいる、いることしかできない、って子かな?同年代の友人と遊び盛りの幼い頃にひとりでいたから他者との関わり方がわからない、他者への興味が薄いのかも。
2014-12-08 22:49:30一年目インハイで真波と対峙したのが御堂筋くんと小野田くん、他に真波と関わりが強い人物で言えば東堂。一定真波が「強いと認めた人物」、言い換えれば「限界ギリギリの勝負ができる人物」。すると真波の興味は「勝負」という点に帰結するのでは?
2014-12-08 22:51:47ここに手嶋を持ってくると、そりゃあもう真波にとっては平凡なクライマー、つまり「限界ギリギリの勝負ができない人物」=「強いと認められない人物」ということで興味もわかない。興味がわかなければ記憶にも残らない。
2014-12-08 22:54:41さて、ここでいったんスペバイ1巻(東堂編)を見てみると「そういえば東堂さんって いつから山神なんですか?」と真波から東堂に尋ねたり、「興味ありますよ 東堂さんを自転車にのせた人でしょ」と言ったり。認めちゃってるんだよなあ、東堂を。真波が。
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