2010年12月9日

そんな「正義」で大丈夫か?

大丈夫だ。全く問題ない。 ブログ用記事です。 よりにもよってなんでこんなに長い連続Tweetしてるんだ。私は。。。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

正義というとその正義の種類が区別できていない人がいてたまに困る。良くある混同はサンデルとロールズの正義。サンデルのアリストテリアンな卓越主義的パターナリズムを擁護するための正義と、包括的理説から演繹される個人の多元性の事実を保護するためのロールズの正義とは異なる。

2010-12-09 03:39:53
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

前者はある共通善を想定して、それを善き価値であることを理由に個人に押し付けることすら容認するのに対して(まさに東京都の条例、サンデルなら支持するだろう)後者は、個人の多様性を守るために、その多元性の事実同士が他者の自由を奪いあわないようにするための調停としての原理である。

2010-12-09 03:42:15
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

それで、その正義というのはオーバーラッピングするコンセンサスと言う形で収斂していく。個人が多元性の事実を最大限存尊重することを目指しかつ基本的な道徳能力を持つのである、ならばである。サンデルの正義では、共通善の涵養・陶冶が目的だから、オーバーラッピングするコンセンサス入らない。

2010-12-09 03:44:18
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

共通善を押し付ければ事足りる。サンデルがロールズ批判した、リベラリズムの限界ではそのアリストテレス的卓越主義が良く表れている。リンカーンの演説とダグラスの論争をした時に、サンデルはロールズの正義では、リベラルすぎて、ダグラスのような奴隷擁護の発言すら抑止できないと批判した。

2010-12-09 03:46:09
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

だから、共通善、(この場合は奴隷制廃止すること)により規制すべきと主張した。だがこれはサンデルの誤読でロールズの正議論は確かに、言論の内容で制限されることはないが、そもそも前提として社会契約を順守する個人が対象であって、差別のような「万人に対する戦争」を起こす個人に適用されない。

2010-12-09 03:48:37
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

だからロールズのリベラルな正義論でもヘイトスピーチや他者の基本善(材)を毀損する行動は社会契約説からして排除できる共通善だからという押し付けを行わなくても。この共通善を健全と置き換えれば都の規制案になるだから私は押し付け正義よりも、多元性の事実を保護する正義の方が理に敵うと思う。

2010-12-09 03:51:22
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

正義=押し付けのイメージを作ったのはサンデル初め卓越主義者に責任がある。だから日本で正義というと脊髄反射的に、押し付けと連想され、正義は押し付けに過ぎない、みたいなトンチンカンなこと言う人がいるのである。非常に困る。

2010-12-09 03:52:43
taku @_heathworld_

どうも、タキオカさん(@yutakioka )が、正義についてコメントなされているので、私も少しそれに便乗してみる。私は常々、正義とは3つの場面に分けられてそれぞれ語る必要があると考えている。その3つとは、個人・公共・共同体の3つである。これについては少し詳しく論じたい。

2010-12-09 04:13:29
taku @_heathworld_

まず、個人の正義についてである。これもまた2種類に分けられる。それは、「個人的に思う正義」と「個人を縛る正義」である。前者も後者もいちいち例を挙げるまでも無い事だろう。前者は「信条」「信念」という言葉で括れば非常にわかりやすくなるのではないか?問題は後者である。

2010-12-09 04:15:07
taku @_heathworld_

後者の「個人を縛る正義」とは何か?これは、例えば「人を殺しても良いという信条」というモノを個人が持っていたとして、それは「他の個人の信条と相反する事になるので、それは正義(信条)としてはならない」という事である。これは「自由権」が「他者の自由権を侵してはならない」のと一緒である。

2010-12-09 04:17:20
taku @_heathworld_

この様に、「自らの正義」が「他者の正義」を”明らかに”侵害している場合は、当然その「自らの正義」は制限されなければならないだろう。これを私は「個人を縛る正義」としている。これを考えた時には、必ず公共の正義というものが被さってくる。続いて話していこう。

2010-12-09 04:18:59
taku @_heathworld_

1番目から2番目の「公共の正義」について論ずる。これは、先ほどの「個人を縛る正義」が何故縛られるのか?という”理由を作り上げるための正義”と定義する事ができる。つまり、公共の正義とは「個々人の正義を守るために、多少の個人的に思う正義を抑制する事を正当化する正義」であるともいえる。

2010-12-09 04:21:03
taku @_heathworld_

先ほどのたとえ話であるが、「人を殺すという個人的に思う正義は明らかに他者の正義を侵害する」というのは極めてわかり易い。すると「公共の正義」とは「個人を縛る正義」とほぼ同義である事がわかってくる。「公共の正義」は個々人の正に1人1人の正義の集合体といっても良いかもしれない。

2010-12-09 04:24:10
taku @_heathworld_

しかし、完全に同義であるとは言う事ができない。何故ならば、「個人が何故縛られるのか?(個人の正義よりか上に来る正義が存在するのか?)」という疑問に対する返答が「公共の正義」という概念であって、この部分は「個人を縛る正義」とは決定的に異なっている事を留意されたい。

2010-12-09 04:25:48
taku @_heathworld_

よって、私はこの部分も分ける必要があるのだと考えている。正確には、「この部分を留意する事なしに「個人の正義」と「共同体の正義」とを繋ぎ合わせる事が出来ない」のである。これに関しては、次の「共同体の正義」について詳しく論じたいと思う。

2010-12-09 04:27:12
taku @_heathworld_

「共同体の正義」とは何であるのか?これは違う言葉に置き換えれば「法」であるといえる。「法」にも様々に分けられる部分が存在するが、ここではそれら全てを含めて「法」とする。多くの人が「法」と聞くと「してはいけない事」を想定するのではなかろうか?

2010-12-09 04:28:59
taku @_heathworld_

本来「法」とは「どこまで”個人の思う正義”を貫いてよいか?」という点に集約される事になる。これを聞くと、「共同体の正義」とごっちゃになるように感じると思うが全く以ってそうではない。被る部分はあるが違うモノであり、分けて考える事が可能である。これは先ほどの例示を利用する。

2010-12-09 04:31:04
taku @_heathworld_

すなわち、”人を殺しても良い”という「個人が思う正義」は「公共の正義」によって説明された「個人を縛る正義」によってそれは正義ではないと「共同体の正義」によって決定されているのである。

2010-12-09 04:32:57
taku @_heathworld_

この様に書くと非常にわかり易いだろう。これは全ての事象に当てはまるのだ。さて、問題はここからである。果たして、この事象下において、もし「人を殺してしまった」場合、いったいどこの「正義」を侵害した事になるのだろうか?

2010-12-09 04:34:50
taku @_heathworld_

実は「他者が思う正義」を侵害した事になるのだ。非常に驚かれるかもしれない。そう、我々個々人が起こす行動によって侵害される凡そ全ての正義は「他者が思う正義」を侵害しているのである。整理しよう。

2010-12-09 04:36:20
taku @_heathworld_

すなわち、”人を殺した”という事は、「個人が思う正義」に導かれた行動である。しかし、これは「共同体の正義」によって正義ではないと決定されている。何故ならば、「公共の正義」によって確立されたはずの「個人を縛る正義」を逸脱して「他人が思う正義」を侵害したからである。

2010-12-09 04:38:56
taku @_heathworld_

ここで、決して間違ってはいけないのは「他人が思う正義」とは「多くの人がやってはいけないとしている正義」ではない。個々人の「生きる権利」という天賦の人権は守られなければならないのだという、「他者一人ひとりが持つ正義」が侵害されているのである。

2010-12-09 04:40:13
taku @_heathworld_

もし、「多くの人がやってはいけないとしている正義」と捉えると、それは「共同体の正義」と同義である。というのも、「公共の正義」によって説明された「個人を縛る正義」によってそれは正義ではないと「共同体の正義」によって決定されているからやってはいけないと認識しているからだ。

2010-12-09 04:42:30
taku @_heathworld_

よって、大きく考えられる「正義」とは「個人が思う正義」から始まり、その「個人を縛る正義」の集合体を「正義」と”便宜上”呼んでいるのである。

2010-12-09 04:45:15
taku @_heathworld_

「正義」については、この様な視点で以って全ての人が話を進めてほしいと思う。アナタが発言する「正義」とは果たして「個人が思う正義」なのか「個人を縛る正義」なのか「公共の正義」なのか「共同体の正義」なのか。この部分がわからないままむやみに「正義」と振りかざしても混乱を生むだけなのだ。

2010-12-09 04:49:42
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