国内/国際社会とは「お互い様に不愉快な他者同士の共同体」。 営むか。やめるか。 「風刺」=他者を理解し他者と繋がろうとする事。 「ヘイト」=他者を拒絶し繋がりを絶とうとする事。 これは「真逆」の関係。「コインの裏表」。 「愛/憎悪」がコインの裏表である、と言われるのと同じです。
2015-01-13 06:54:04続)風刺とは「ヘイトのメタ表現」「ヘイトの説明」だ、とも言える。 「現実にあるもの」を描いて並べる風刺画。言葉は少ない。 そこに何を読み取るのも「あなた」次第。 しかし拒否反応として現れるものは法則がある。 「あなたの嫌いなもの」=「あなたの偏見」=「他者無理解」=「ヘイト」。
2015-01-13 07:10:30続) 物語が「悪」を描かないと「悪」を読者に説明できない様に、 風刺は「ヘイト」を絵にして示さないとヘイトを説明できない。 風刺とは万人の持つ「ヘイト」を「他人事として説明」するのではなく 「あなたのヘイト」を「あなたの頭」に直接説明する方法です。(続
2015-01-13 07:22:21続)風刺とヘイトの区別が「ワカラナイ」のは「漫画と現実の区別が付いていない段階」。 風刺として描かれたものをヘイトと思うのも、「漫画と現実の区別が付いていない」。 読んでいるのは「あなた」なのに。そのあなたが「いる」、と言う「自覚」がまだない。ヘイトは「自意識の欠如」から起こる。
2015-01-13 07:29:22続)風刺もヘイトも一緒だ、こんなの風刺じゃないと「言えている」内は、まだ漫画を読み始めた幼児の様なものなので、暖かく見守ろう。 風刺が示すものが「あなたの偏見」であると言う「風刺の仕掛け」の正体、 「戦慄すべき優しさ」に気付いた時にこそ、人は風刺作者を「殺したくなる」。
2015-01-13 07:34:47続)シャルリエブドの様な風刺の本質の「正体」に気付いた時、人は必ず一度は作者を「(頭の中で)殺したくなる」。 この時、あなたは「作者もあなたも」まとめて「笑える」様になったか。 漫画と現実の区別を失ったまま「本当に殺しに行くか」。これが、風刺作者のギリギリの「人間信頼の攻防」。
2015-01-13 07:48:54続)風刺画を見て”自分との”直接の繋がり”に気付き、作者を「頭の中で殺したくなる」レベルになったら、それは心理学的”親殺し”に似たもの、”自分の心の醜い部分に気付く”と言う一種のイニシエーション。つまり「自覚」「自意識」。”自分を振り返る”と、やはりそう言うものではと思う。
2015-01-13 14:38:14続)しかし既に漫画に描かれた現実を「醜悪と思ったのはあなた」と気付いた後なのだから、アタマが「作者を殺したくなった」ならすぐ「たかが漫画の作者を殺したいと思ったあなたのアタマ」を”上から目線”して、ドラえもんの最後で「のび太に返る因果」を見るのと同じ様に「笑える」、と言う原理。
2015-01-13 14:58:11続)この”のび太客観視”原理を働かせるためには、そもそもの漫画が”たかが”に見える事が大事。だから見た目が「ヒドい」「下品」な事は、ここでも役に立つわけです。『日本沈没』田所博士のブチ切れに似て。作品から読者への「早く突き放してくれ」と言うメタ表現。漫画家は色々考えてます。
2015-01-13 15:08:08続)元々大概の人は「自分を笑う」と言う事を知っている。「自意識」によって。ただこれにも「愛/憎悪」に似たコインの裏表が。「自己憐憫-自嘲」。”憐憫”がユーモアで”自嘲”が風刺。風刺は「自嘲」の方を「自覚的に行う」事で位相をプラスにしようとする人為的試み、と言えるかも知れません。
2015-01-13 15:45:29@kakitamaさんが自分ですでにまとめていたことを今更知った。
という訳で浅はかですがすこし自分でも書いてみると思います。
以下チラ裏以下文章
漫画と風刺画の違い
漫画の目的はいかに「不気味の谷現象の左側の頂点に到達するか」だと思います。
一方、「今の風刺画」の目的は「批判」です。故に挑発的です。
そのために美人すら醜くするカリカチュアを使用するのが普通である。
間違っても可愛いとか抱きたいとかの感情を出すことはない。
絶対にオカズには出来ない。
だいたいは笑いをとって批判するのが普通ですが別に笑いのみではない。
「今の風刺画」?
そう言ったのは「今の風刺画」がポリティカル・コレクトネスに囚われ、
色々タブー視して、さらに右翼とか左翼とかについて自分側を批判せずに
相手側をm9(^Д^)プギャーするのが普通になっているからです。
@kakitamaさんが言ってた全能の幼稚化は海外の新聞でも起きているのです。
本来の風刺画というのは本来の新聞同様に
「何もタブー視せずに、どっち側に対しても
批判するべきと思ったものは批判する。」
なのである。
その点においてはシャルリーエブドは真の風刺家だった。
「フランスで本当に表現の自由が有るのならシャルリーエブドを風刺すべきだ。」って論調
それは難しいな。
天皇様(って書くのかな?)が天皇制を否定。
漫画家が漫画というジャンルそのものを否定。
風刺画を持って風刺というジャンルそのものを否定。
「批判」を持って「批判そのもの」を否定。
即ち自己否定となり、自己矛盾になる。
もし風刺画を持ってシャルリーエブドの非自粛性、自己規制さのなさを批判したら
「私は臆病者なので何らかをタブー視し、どっちかのサイドについて他のサイドを攻撃して自分の再度には一切批判をしません。」
と言っているのと同じになる。
(風刺家は普通、こういうのは自覚しても一切言わないのが普通である。致命的すぎる。)
その他にも
「イスラム国家やイスラム教徒じゃなくてもシャリーアを守れ。」
「私はテロに屈します。」
とも言っている。
ようするに表現の自由を持って表現の自由を否定しているのである。
表現の自由を持って表現の自由を否定するのなら
自身の表現の自由を否定されても文句言え無いだろう。
「テロに屈するな」と「タブーにリスペクト」をタブー化したのも矛盾って言えば矛盾だがな。
ただ、「シャルリーエブドが殺されたことに納得行かない!!」ってな感じの風刺はあるがな。
と思ったら後で見つけた。
#JeNeSuisPasCharlie #CharlieHebdo this is for you people who hashtagged #JeSuisCharlie pic.twitter.com/MY6eqhvflG
2015-01-08 09:42:44漫画で風刺は可能?
出来ます。
個人的な考えだが別に見にくく書かなくても批判は可能だと思います。
証拠はじょしらく。
可愛い女の子たちで社会についての色々に批判している。
無論ギリギリを狙っているのは分かる。
「個人攻撃だ!訴訟!」を全力回避しているとは言え批判はしている。
こっち側の風刺家の場合は新聞を後ろ盾に政治家に色々訴訟されながら描いてますがな。
あと、にょたいか 世界の独裁者列伝。
チャベスとかちゃんと批判になっているのがいくつか有る。
以上チラ裏でした。