20年前の記憶

1995年1月17日の前後の記憶をまとめてみました。
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元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

20年前の1月17日、私の住まいは兵庫県尼崎市にありました。 大阪に本店のある都市銀行に業務出向で勤務していたのですが、たまたま前年度の褒賞旅行で、前日の16日の晩からハワイに✈️。 まだ携帯も普及していない時代。Honolulu空港のレンタカーの店舗であの地震を知ったのでした。

2015-01-17 15:05:46
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

とにかく情報が欲しくて、ホテルのロビーには関西弁が飛び交い、帰りの便を求める方ばかりでしたが、関空の受け入れにも限界があるようで、まず兵庫県に自宅がある方から優先的に帰国便を変更できるように手続きが始まりました。携帯もNETもない中で、日本への国際電話に群がるものの通話は不可に。

2015-01-17 15:12:57
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

ようやく東京の実家に連絡がついたのは、ハワイに着いてから14時間後のことでした。 当時まだ独身で一人関西にいた私は、東京の実家には海外に行っていることを伝えずにいたため、電話が繋がった時「もしもし。あ、オレオレ」「(母)あんた、今どこ?避難所にいるの?」「ハワイ」「(母)はぁ?

2015-01-17 15:20:47
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

尼崎市に住んでいたが実家ではなかったために優先順位は低く、帰国便はなかなか変更できず、悶々とした気持ちでWaikikiビーチで時間を過ごしていました。一日遅れで届く新聞には日に日に死者数が増える一方の見出しと火の海に包まれた街倒壊した建物や高速道路ばかり…とにかく衝撃でした。

2015-01-17 15:25:58
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

ようやく一日前倒しで、帰国便に乗れることになり、Honolulu空港から関西国際空港へ。関空から大阪まで地震の被害はほとんどなく、大阪に入っても想像していた損壊はなく、なんだか子抜けした感じでしたが、会社の仲間の疲れ切った顔を見た時、日焼した顔で申し訳ない…と思ったものでした。

2015-01-17 15:31:03
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

そして大阪から尼崎へは、阪急電車がまだ復旧できず武庫之荘まで辿り着けないということもあり、車で向かいました。川を越え国道2号を進むにつれ、大阪市内では感じることのなかった震災の恐怖感がどんどん増して行きました。まず街全体停電している違和感。そして大阪を離れるごとに酷くなる道路

2015-01-17 15:37:30
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

はじめに見えたのは建物の窓と窓の間の壁に入ったクラック(ひび割れ)が✖️になっているビルでした。そういう建物が増えていき次第に倒壊した建物や燃え尽きた家、一階のピロティ(駐車場)の車を押しつぶして二階が地面にくっついているマンションやビル。一階の店舗が消え積み木崩し状態の違和感。

2015-01-17 15:45:46
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

自分が住む街に着いた時、夜だったこともあり、全く知らない街に来たような光景に戸惑いました。自宅のマンションは水道管は復旧したものの、給水塔が壊れているようで、水がオーバーフローし溢れ出ていました。家の中はどうなっているのかと、玄関の鍵を開けても、ドアが軋んで全く開かないのでした。

2015-01-17 15:54:16
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

力まかせにドアを引いて開くと、まず背の高い乾燥機付き洗濯機が倒れかかってきました。地震で1.5m程、玄関の方へ飛んだのだと分かりました。次に電気のつかない部屋の中を覗いてみると…そこに有るはずの背の高い本棚が無くなっていました。本棚は倒れただの板になり、本は床に広がっていました。

2015-01-17 15:59:47
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

奥の部屋のベッドの上には、蛍光灯とその傘がありました。置いてあったものはことごとく床に散らばって、暗がりの中でも、足の踏み場がないのが感じられました。あの時この部屋にいたら間違いなく怪我をしていたと思います。ガス栓を閉じブレーカーも落とし暗闇の中、明日からを案じつつ寝たのでした。

2015-01-17 16:05:45
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

翌朝、目覚めたのは電気もガスも水道も出ず、電話も繋がらない、飛び散った破片やら転げ落ちたモノが転がる家の中でした。家を飛び出て周りを見ると、車が半分押しつぶされたマンション…ほとんど人の気配もない家ばかり…乾いて砂埃が舞う中をふらふらと歩き回りながら…これは夢か?と混乱する自分

2015-01-17 16:16:23
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

結局3月末の人事異動で東京に戻ることになりましたが、1月後半そして2〜3月をどの様に過ごしたのか、記憶が断片的になってしまい記憶に残っていません。震災直後の記憶は細かく残っているのですが、どの様に生活を取り戻したのかについては殆ど語ることができませんあそこにいたという記憶だけ

2015-01-17 16:21:54
元吉崇夫 /相続診断士® @Genlightment67

震災後、大阪に仕事で向かうことはあったのですが、自分が2年暮らしていた武庫之荘にはまだ一度も訪れてはいません。住んでいたマンションもあれから取り壊されたと聞いています。あれから20年…どこかに面影はあるのかな。武庫川はきっと変わらずキラキラと水が流れているのでしょうねきっと(終)

2015-01-17 16:28:25