- NEUROI_X11
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クウガはやっぱあれだなぁ、五代雄介の人格が素晴らしい。最終回も「空我」じゃなくて「雄介」だし、仮面ライダーの名前にモチーフも作品テーマも盛り込まれているのも感動ものだし、ああやっぱいいなぁやっぱこれだなぁ
2010-12-10 00:08:16「翔太郎達は仮面ライダーだから街の平和を守るために戦う」Wと違うのは「五代雄介は人の笑顔を守るために仮面ライダーとして闘う事を選んだ」というところで、五代にとって仮面ライダーは憧れでもなく正義の味方でもなくてただの力の塊だったんだろうなぁと
2010-12-10 00:11:02火野映司は戦場で子供を守れなかった事を大きなトラウマとして抱えていて、それを元に「自分が出来ること、手の届く範囲の守れる命は絶対に守る」という意思を持って戦っているけど、五代は守れなかった命を嘆きはしない。ただ、受け止めて、新しい犠牲者を出さないために自分に何ができるかを考える。
2010-12-10 00:18:11人物が今風のキャラ付けじゃなくてもっとリアルに近い描かれ方をしてるんだよなぁ。人々が自然に生活しているからこそ無差別に命を奪うゲゲルの残虐さも際立つというか
2010-12-10 00:22:41まぁ要するに突然物陰から現れたガドルにぶっ飛ばされたにも関わらず階段から滑り落ちながらの体勢で的確に照準合わせて神経断裂弾を腹に連続で撃ちこむ一条さんマジパネェってことです
2010-12-10 00:24:45@Salt_Shopa 敵対するのがグロンギっていう理不尽の塊とヤミーっていうコンプレックスの塊って差異を考えれば、理不尽なほど前向きに立ち向かう雄介とコンプレックスから戦う火野君って構図はわかりやすいよね
2010-12-10 00:30:11@GlowerGlamor グロンギが単なる復讐とゲームなのに対してグリードは(今んとこ)ただ存在したいだけだしね。リアルさを徹底したクウガはやっぱ他に比べて異質の雰囲気がある。勿論どっちも好きですよ
2010-12-10 00:33:37RT @Salt_Shopa: 「翔太郎達は仮面ライダーだから街の平和を守るために戦う」Wと違うのは「五代雄介は人の笑顔を守るために仮面ライダーとして闘う事を選んだ」というところで、五代にとって仮面ライダーは憧れでもなく正義の味方でもなくてただの力の塊だったんだろうなぁと
2010-12-10 03:31:35五代と火野さんは似てるってよく言われるけど、原動力になる部分が違うのよね。五代は「みんなの笑顔を守りたい」だけど、火野さんはぶっちゃけてしまうと「トラウマ」。きっと誰かを助けずにはいられない、ってヒナちゃんが言ってた通り。
2010-12-10 03:36:37「親切なんかじゃないよ。誰でも助けられるわけじゃないしね。ただ、届くのに手を伸ばさなかったら死ぬほど後悔する」この台詞から、火野さんは自己満足のために戦ってるって自覚があるのが見て取れる。だからその戦う姿は時に、どこかもの悲しい。五代も大概無茶するが、火野さんの無茶はかなり酷い。
2010-12-10 03:46:55五代は「考えた上での無茶」、火野さんは「後先考えない無茶」って感じ。すぐコンボ使う辺りとか、すごく危うい。五代は何か大きな無茶をする(心臓止めるとか、究極の闇になるとか)までには基本、かなり長い間実行に移すべきかを考えていたりする。ここらに原動力の違いが出てる。
2010-12-10 03:51:13「五代は守れなかった命を嘆きはしない」、ってのはちょっと違うと思う。すげえ嘆いてますよ。態度に出さないだけで。一度溜まり溜まったそれが爆発して、敵より五代の方が怖かった回とかあったじゃないですか。後に自分でも白状してる。
2010-12-10 03:55:42「42号の事件の時、あの高校生の子達いつ死ぬのかすごく怯えてて、そのために自殺した子まで出ましたよね。それまでも助けられなかった人は沢山いるけど……なんかそういうのが重なったのかな。もう理屈じゃなく、すごく42号が憎くなって」これね。
2010-12-10 04:04:07憎しみで戦わないはずの男五代を究極の闇に傾けた42号について ニコニコ大百科。http://bit.ly/fG6AHM
2010-12-10 04:05:04あの回のオダジョーのアフレコは素晴らしい。映像や音楽による効果ももちろん大きいのだが、声の出し方の違いでクウガが「ガチでキレている」事を巧みに表現していた。「超変身!」で怒りを表現ですよ。パねえ。
2010-12-10 04:15:46