佐藤正美Tweet_20150116_31

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佐藤正美 @satou_masami

我々は、思考の苦労を二度と繰り返さなくても済む様にと原理(あるいは、パターン)を探し求める。しかし、正しい思考は、決して自分を型にはめる事なく、新たに仮定し、証明を試みる。滞る事をしないで発見(発明)するのが思考であるから。思考は唯一の証明で満足すると誓約する様には作用しない。

2015-01-22 19:26:51
佐藤正美 @satou_masami

知識を得る事よりも、それを使う事のほうが、ずっと難しい。論理規則を知る事から論理を使う事へは、なんと遠い事か!

2015-01-22 19:28:44
佐藤正美 @satou_masami

仕事が完成すると、それに費やした努力が装飾になる。だから、完成に努めた人は舞台ウラを語らないが、批評家雀たちは、それを取り沙汰したがる。完成に漕ぎ着けた人はわかっているはずだ――仕事を成し遂げる時には、多少とも偶然を考慮せざるを得ない事を。

2015-01-22 19:32:10
佐藤正美 @satou_masami

実践家たる条件とは、自分の下した判断や自分のやっている仕事について文句を言わない事であろう。楽天家の条件とは、――昨日の非は、その日にうちに反省したら、悔恨しない事。今日(きょう)のやるべき事を考えよ、できるだけ明日に頼らないで。楽天的な実践家である事は、存外難しい。

2015-01-22 19:38:43
佐藤正美 @satou_masami

仕事を手続き化できると見くびった事が原因で生活の無機質化は始まる。我々は 50歳をすぎると、自分の習慣と結婚してしまう。習慣は思考を硬直する一面があるが、習慣になってしまわない限り確かに身に付いたものにはならない。勤勉さや忍耐力も習慣によって養われるのかもしれない。

2015-01-22 19:43:38
佐藤正美 @satou_masami

私はアパートに住んでいるが、隣人と会話を交わした事は殆どない。たぶん、隣人はなくとも生きていけるのかもしれない。だが、友人なしには生きていけない。しかるところ、無理をしてまで友人たちに会う事をせず、そして彼らに会った時には、愉しみを分かつ程度にしなければならない。

2015-01-22 19:47:24
佐藤正美 @satou_masami

世渡りの心得――挨拶、笑顔、感謝。こういう当たり前の事が私の腹に入ったのは還暦を越えていた。時すでに晩蒔(おそま)きの感があるが、されどここにまた一日 朝が明ける――「一日を慎みて以てその世を終ふ(一日一日心して生きる事)」(「呂子春秋」)。

2015-01-22 19:52:36
佐藤正美 @satou_masami

判断(あるいは、選択)のあとには必ず強制が生ずる。私は、この仕事を選んだ、ここで働き、余所には働かせない強制である。この仕事に自分を閉じ込めた強制である。私が自由の身なら拒絶する事も、この強制の下で受諾するしかない。この強制があるからこそ、我々は成長(熟練)できるのではないか。

2015-01-22 19:56:11