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循環史観表 aloalo.co.jp/nakazawa/2014/… Chapter4 1964-79 還元主義と多様性
2015-02-13 19:27:55アンフォルメル旋風については第2章でやったが、それに収まりきらない状況が出てきた。 アンフォルメル機縁説があるが、アンフォルメルにより鬱屈したものが出てきた。それが表現主義だったがそれもつき超え、美的なものすら否定するようになる
2015-02-13 19:31:23必ずしも褒められたものでないものが出現するが、 その篠原有司男の作品に合ったことで瀧口修造も価値観を揺さぶられている。 つまり自分自身に元々ある価値観で評価するのは簡単で、良いから素晴らしい悪いからダメというものだが、しかしその価値観が揺さぶられてしまい判断に逡巡する状況
2015-02-13 19:35:17瀧口修造「たしかに類のない『わるい彫刻』の一つとして記録に値いしようが、だれもこの作家の未来を予言するものはいないだろう、私はひやかしているのではない。アンデパンダンはこれを避けて通ることができないことをいいたいのだ」
2015-02-13 19:35:39ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズが結成されるが、 篠原有司男は作品らしいものすら否定したり、荒川修作は「美学的な(篠原有司男)」作品を出したりと資質が異なる。
2015-02-13 19:36:47工藤哲巳や荒川修作や三木富雄と他のネオ・ダダは異なる。 つまり作品が残ってるか残ってないかだ。 反芸術の徹底で作品すら残さなかったわけで、残ってないということを積極的に評価したほうがいい
2015-02-13 19:37:58前衛の道は近年完全復刻として出版され見ているだけでも面白い本だ。 篠原有司男は短い文は面白いが、長文はどうかという感じだが、巻末に中原佑介(批評家)の文章がありそれが当時の美術を省みるに素晴らしいものとなっている。またデザインは田名網敬一。
2015-02-13 19:41:02読売アンデパンダンは1人一点で出品だったが、その概念が崩れ、お金を払い一定の区画を使用する方針となった。そこで、壁面全部の使用料を払えば「個展」が可能となり「インスタレーション」ができる。 それに気づいたのが工藤哲巳であり、そのことは赤瀬川原平の反芸術アンパンで記述されている
2015-02-13 19:42:14赤瀬川原平の「反芸術アンパン」。 これはハイレッド・センターになる前の話。 読売アンデパンダン以降は、「東京ミキサー計画」に記述されている。
2015-02-13 19:43:19読売アンデパンダン時の都美館。 この美術館が会場を貸すということ、これは西欧になく日本独自のもの。 貸会場するなら美術館と名乗るべきではないとされている。 しかし当時の人々はわからないままそれを行っていた。
2015-02-13 19:44:53近年できた六本木の新国立美術館。 これは英語ではミュージアムを名乗っていない。アートセンターとされており、貸すことを前提に作られている。その対象は公募団体。 日本では「美術館」、英語ではそう名乗れない、と
2015-02-13 19:46:05自主的なアンデパンダン、それはすでに日本アンデパンダンで行われていた。それは非常に優等生的、つまり共産主義の理念にそって民主主義リアリズム絵画が良しとされていた。
2015-02-13 19:50:321964年、ハイレッド・センターによる首都圏清掃整理促進運動、 これは先月も言ったが、カオス・ラウンジが参照している。
2015-02-13 19:52:08掃除も芸術なのか、芸術も掃除なのか? そこで彦坂尚嘉が掃除もすることも芸術であるとまとめていた。 しかし椹木野衣はその論ではだめだ、と反論していたはず
2015-02-13 19:52:59