- misonikomioden
- 3770
- 0
- 0
- 1
富士山の絵は何処にでも見られるので形骸だと徹底的に否定されていた。 その代表は岡本太郎だ。 はちのじ芸術だと。 だから形骸化した美術だからこそ富士山を描くんだ、と。
2015-02-13 20:18:04[修正] 富士山の絵は何処にでも見られるので形骸だと徹底的に否定されていた。 その代表は岡本太郎だ。八の字芸術だと(八と富士山が似てる)。 しかし立石は「形骸化した美術だからこそ富士山を描くんだ」、と。
2015-02-14 01:37:09「日本のポップ・アートの呼称は、立石大河亞にこそふさわしいかもしれません。それは二重の意味においてです。まず彼は、卑俗と知りつつ卑俗をこそ描くようなポップ・アーティストでした。たとえば巷にあふれる富士山の絵を、形骸化した様式美でしかないからこそ、わざわざ描くのです。」
2015-02-13 20:18:36「地方性と知りつつ地方性をこそ描くような日本人アーティストでした。たとえば日本的とされる富士山の絵を、日本がアメリカの文化的植民地であるからこそ、わざわざ描くのです。」
2015-02-13 20:18:57菅木志雄展が現在、都現美で開催されている。 関根伸夫とリー・ウーファンで始まったもの派だが、菅木志雄に可能性があるのではと千葉成夫が書いている。 またこの展覧会の担当は現代美術史日本篇の執筆のきっかけをくれた関さんという学芸員の方
2015-02-13 20:29:52松澤宥は「数」に対してオブセッションを持っていた。 生まれた日付「2」、仏教からきたであろ「9」 「1964 101010」これは単に1+9=10、6+4=10のメモ書き程度だろう。 それでも自筆年譜に書いている。
2015-02-13 20:35:58宛名面には「すべての生物および無生物のための白紙絵画/人間に見せるのみならず 岩にも樹にも天にも鳥獣にも音楽にも自己増殖機械にも 私はそれを見せる 見よそこに ただ白色の円を」
2015-02-13 20:37:02白色で丸を描くのではく、言葉で指示する。 これはつまりイデア的な円を描くことだ。 絵の具を使えば白の濃淡、丸では鉛筆の太さなど邪魔なものが出て完璧さから程遠いが、言葉で白、言葉で丸といえばそれで完璧な白と丸となる。
2015-02-13 20:38:522014年、横浜トリエンナーレで特集もされていた。 彼の概念美術に至る前の主要な作品があった。 それは非常にドロドロしており、異彩を放っていたことは赤瀬川原平も記述している。 黒瀬陽平から言えば「カルト」だと
2015-02-13 20:41:00トリックは当時、非常に知的な言葉であった。 つまり存在自体とは何か、 高松次郎に繋がるが、それは視覚のビジュアルを信じていいかどうかということであり、繋がる作品としてトリックアンドビジョンの作品がある。
2015-02-13 20:42:35岡本太郎は、シュルレアリスム(ものをそのまま描く)=もの派と抽象美術(幾何学抽象)=事の対立をそのまま出す、対極主義を出した。 それはアメリカではコンセプチュアルアートとミニマムアートとの対立であり、それが事派ともの派の対立にもつながっている
2015-02-13 20:49:47