- HARU__CHIKA
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「このッ、罰当たりめッ!」も(祭神様から頂いた衣装が破けてしまったじゃないか!祭神様怒らせると怖いんだよ!祭神様にメッてされるまえに私が説教してあげるね!)って感じになる
2015-02-21 01:35:17神社奉納から見る監禁の可能性について
軍刀で悪源太に振るわれた砌が、主がなくなって、仕方がないから神社に奉納するベーってなったとき相当禊を強いられたと思うんだわ。人斬り刀で死の穢れをとても纏っていただろうし。神使あたりに「今はばっちいから置くまで入っちゃダメ!禊しなさい!」って数年は神事修行を強いられる軍刀……
2015-02-21 10:40:51なんでこの俺が、とヤンキー時代の口調でぼやく砌めっちゃみたい。でも、ここに奉納された以上、戦場に出るのはもう叶わないのだろうな、と主が斬首されたということを思い出し思いながら、諦めて自分と向き合うのだろうな。荒御魂がそうして諦めることで和御霊にならざるをえないっていう。
2015-02-21 10:43:53軍刀として戦誉を得ていたことを「死の穢れ」だと否定され、奉納されることで二度と再び振るえないようにされ、それまで彼の刀生の軸にあったものを骨抜きにされていく過程などを妄想すると、やっぱり奉納は監禁ですわ……萌える………
2015-02-21 10:46:10長い時間を穏やかに過ごすことを求められて、そのうちに軍刀・砌丸は御神刀・砌丸という神の依代にも変わり、武器であった事の本分を忘れ、ともすれば軍刀であったことさえも忘れ、2200年代に審神者に呼ばれて現界した後には、自分のことなんか棚に上げてにっかりを責めてしまうっていう
2015-02-21 10:50:32それか、自分のことがあったからこそ「何百年もすれば、また変わるかもしれないよ」発言かもしれない………神社に奉納されて禊をおこなっていれば、その本質は変わっていくと見を持って知っていての発言……。
2015-02-21 10:52:31その「何百年」というのが軍刀石切が御神刀になれたのだとようやく思えた時間の単位なのかとおもうと萌える。その間神社にいながら穢れを抱える異質として自分を意識していたりしたのだろうか。祭神のもとで骨抜きにされた何百年、軍刀であることを否定され続けた何百年……。萌える……。
2015-02-21 10:56:51祭神に「お前はもう軍刀じゃないよ。良かったね、もう人を斬って死の穢れに触れなくて済むんだよ」ってよしよしされて(武器として人を斬ることは悪いことだったのか?)(ならば義平様がなさったことは悪だったのか?)って自分のアイデンティティ否定されてじわじわ崩れていく軍刀砌丸ちょうかわいい
2015-02-21 10:59:45そんな彼だから人の身を得てもやたら穢れを気にするし、神事は執り行っちゃうし、「示しがつかない」「御神刀としては問題」って考えちゃうのかな〜〜〜
2015-02-21 11:04:11にっかりの、あの武器なら使われてなんぼ的な発言(覚えてないごめんにっかり)は、砌丸から失われた軍刀としての矜持を取り戻させるために……?とか考え出しちゃうからやばいですね
2015-02-21 11:07:14穢れを禊ぐとき(…これではまた祭神に怒られる!!私が否定される!!)と、強迫観念の元真っ青な顔で体をゴシゴシしてる砌丸大変おいしいです。それをそっと諌めて、祭神に縛られた心をどうにかしなきゃいけないんだから、やっぱり右切丸は寝取りCPになるね…?
2015-02-21 11:11:33でも何百年もの間アイデンティティ磨り減らしながら御神刀に見合うだけ魂を禊、祭神様に「私の穢れは晴れたでしょうか」と縋る砌丸超かわいいからね。んで祭神に「よく頑張ったな。ご褒美に出雲大社に連れて行ってあげよう」っていわれて、久しぶりの外出に心底喜ぶ砌丸とかいる。
2015-02-21 11:22:16「お前は悪い刀だ、死の穢れを纏った良くない刀だ」と言われ続けて、その穢れを消すために何百年とみそぎ続けて、ようやく其れが晴れたときには「うわ〜綺麗になったね!自慢の御神刀だよ!ご褒美に神無月は出雲大社に行こう。皆にお目見えしようね」って対応をされたと妄想すると胸熱
2015-02-21 11:29:23平家の宝刀・小烏丸(未実装)について
小烏丸がじじいよりじじいかもしれない可能性に打ち震えている ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F…
2015-02-20 16:41:47桓武天皇の時代、伊勢神宮より遣わされた八尺余りある大鴉によってもたらされたと伝えられ、「小烏丸」の名はその大鴉の羽から出てきたとの伝承に由来する。
後に平貞盛が平将門、藤原純友らの反乱を鎮圧する際に天皇より拝領し、以後平家一門の重宝となる。壇ノ浦の戦い後行方不明になったとされたが、その後天明5年(1785年)になり、平氏一門の流れを汲む伊勢氏で保管されていることが判明し、伊勢家より刀身及び刀装と伝来を示す「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀図」の文書が幕府に提出された。
この「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀」は伊勢家より徳川将軍家に献上されたものの、将軍家はそのまま伊勢家に預け、明治維新後に伊勢家より対馬国の宗氏に買い取られた後、明治15年(1882年)に宗家当主の宗重正伯爵より明治天皇に献上された。
現在はこれが皇室御物「小烏丸」として、外装共に宮内庁委託品として国立文化財機構で保管されている。(wiki引用)