「東京を考える、語る」川俣正 × 吉見俊哉
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川俣「なぜかつて人はデパートに行ったか。何も買いに行く目的がなくても行ってしまい、お金を使ってしまうのがデパートの付加価値だった。効率性を考えるとどんどん潰れて行く。パリではカフェでも公園でも経済効率を考えることがあまりない。カフェで追い出されず朝飯も昼飯も晩飯も食べられる」
2010-03-03 15:45:09川俣「世知辛くないぶんだけゆったりできる。場所と雰囲気と時間。東京では何気なく入りたくなる店があまりない。美術館もそうで、パリでは展覧会目的ではなくて子供を遊ばせるためにポンピドゥーに行き、子どもが走り回っていて、ただ広い、それでいい。その気になれば資料も見に行ける」
2010-03-03 15:46:57吉見「パブリックの問題を考えるとき、著作権とか知的所有権と気になっている。日本学術会議でも先日シンポジウムを企画した。グーグルとメディア文化の関係性を考えるために、国会図書館、NHKアーカイブス、フィルムセンターの方に集まってもらった」
2010-03-03 15:48:15吉見「情報、知識、知財を考えると、プライベートのグローバル化が進んでいる。便利だが、しかしこれはパブリックというものとは違うのではないか。グーグルのシステムに乗らないとこの世に存在しなくなる情報が存在したり、著作権や知財の囲い込みでアクセスできなくなる文化財がたくさんある」
2010-03-03 15:49:49吉見「例えば映画のフィルムが、他の場所から全て滅失しても、現像所に大量に実は残っている。しかしこれは国に寄付することすらできない。こうしたものはプライベートだけでは解決できない。パブリックということは所与のものではなく、これから私たちが作っていかなければならない」
2010-03-03 15:51:26川俣「フランスでは最近、現存している作家のアトリエを保存するという動きがある。死んだ人のアトリエではない。契約として、死んだら国に寄付するという約束でアトリエを借りている。これは、作家の遺族のせいで散逸してしまう作品を救うためにそうしている。新しいコレクションの仕方」
2010-03-03 15:53:14質問者「日本ではパブリック、公共というのは規制的、管理なものに感じられる。そこが変わっていくといいのではと感じた」吉見「リスクをとれない、という社会の雰囲気のせいでそうなっている。危ない、事故がおきるかも、でもやる、という方向にどこまで社会が踏み込めるか」
2010-03-03 15:55:56質問者「盛り場としての都市の未来という話。今は雑誌とか広告といったメディアではなく、多元的な情報の流れ方をしている。匿名の人との関係によって都市のイメージが、(テクノロジーや情報流通の変化により)で関係性が可視化されて、どう変わるのか」
2010-03-03 15:59:23吉見「新宿とか渋谷とか、そういう空間ではなく、バーチャルな空間、フレキシブルな空間になってきている。時間軸の中で、都市の「できごと」性がつくられていく。具体的に何が起こるかはわからない」←質問とちょっとずれてる気がした
2010-03-03 16:01:12川俣「あまり場所とか機能の設定を固定化しないほうが色々なものが受け入れやすい。何が起こるか分からないというのが都市の意味、盛り場的なるものの生成、そういうことではないか」
2010-03-03 16:02:06@hanapusa さんの質問「地方出身の眼から見ると、東京や海外といったものは憧れの参照点にあったけれども、もうそうなくなっている。ノスタルジーの世界にも行きたくない。実際に活動していると嫌われたりもする。何かしら自由にやるためのテクニックを教えて欲しい」
2010-03-03 16:06:08川俣「今日も色々な話からキーワードが上がってきた。今日この後も、明日も引き続き話して行きたい。」これで終わります。この後18時が高山明(@akirat16)さんです。その後のスケジュール>http://bit.ly/d4WqPu
2010-03-03 16:09:01さっきのtsudaりで「スポッター」と書いてしまったのは普通に聞き違いで「スクォ(ワ)ッター」ですね。バリ流の言い方かと思った…。すみません。
2010-03-03 17:42:56