針生一郎と戦後美術展 講演「美術批評の現在進行形」 講師:椹木野衣
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1998年、日本・現代・美術を出したことで針生一郎と縁ができた。 椹木の戦後美術の成立不可能性、その根源には戦争があり、時代ごとに美術家を評論するものだ。
2015-03-15 14:00:34褒められたとなれば、ちゃんと評論として返さないといけない。 針生一郎という作家は最盛期とは57~72年あたり 2010年に亡くなったが、会場都合もあって充実した内容だが本展でも70年代あたりで終わっている
2015-03-15 14:02:19アヴァンギャルド、リアリズム、アンデパンダン、反戦反核がもっとも充実したのがその時代で、だからこそ最盛期だと。 そこで一端なぜ終わったのか。本人が言っている。 出典はきちんと調べきれてないか、彼は現役批評家から退役宣言している。71~72年
2015-03-15 14:03:25美術の運動としてのテーゼ。 美術はかくあるべしという、ある種の現実否定であるが、 それにより引っ張られるはずだが、それをやめた
2015-03-15 14:05:36ハンパク芸術。 70年代安保反対と大阪万博反対。 それらに失敗し、タマビ闘争も失敗した。 とはいえ態度は崩さないが、それでもそれで引っ張れない。 だから退役とした
2015-03-15 14:06:57[注]
ハンパク→反博
[参照]
日本万国博覧会 | 現代美術用語辞典ver.2.0
著者: 成相肇
http://bit.ly/1MFEkyC
反博――反戦運動の試行錯誤
(『現代の眼』 69年10月号より)
針生一郎
http://www.jca.apc.org/beheiren/HaryuuIchirou-Hanpaku.htm
その後、針生の存在感は70年代以降失われていった。 椹木が80~90年代に評論を書き始めたが、すでに伝説の存在。 活発に議論を交わす存在ではない。 昔何があったかを記録するオーラル・ヒストリーがあるが、その調査対象となっていた
2015-03-15 14:08:34その時期、針生の著書でまともに読めるものは殆どなかった。 しかしかつてアクチュアルの批評家でなく今アクチュアルな批評家として見えたのが、91年の富山近代美術館の仕事だ
2015-03-15 14:11:56日本心中 おおうらさん。 天皇の姿をコラージュした作品を作った人だが、右翼が押し寄せ不敬だと。 そのため作品取り下げ掲載図録を焼却した。 学芸員は県の職員なので反対できない そこに反対をするには外部しかない。
2015-03-15 14:12:34[注]
おおうら→大浦信行
日本には団体という互助会があるが、このようなことが起こると作家は孤立する 針生はそれを助け、裁判を行う。 しかいついに負けるが、
2015-03-15 14:12:4294~2010の時期を共有している。 それを復活期とおもっている このような活動をするということはつまり復活宣言であったとも言える
2015-03-15 14:12:50[参照]
富山県立近代美術館事件 | 現代美術用語辞典ver.2.0
著者: 福住廉
http://bit.ly/19rFeCP
ず・ぼん7
富山県立近代美術館・県立図書館問題 訴訟に至るまでの経緯
http://www.pot.co.jp/zu-bon/zu-07/zu-07_056
日本心中
http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.nihon.html
https://www.youtube.com/watch?v=HmXu-XhIMkc
針生一郎オーラル・ヒストリー 2009年2月28日
インタヴュアー:建畠晢、加治屋健司
http://www.oralarthistory.org/archives/haryu_ichiro/interview_01.php
2000年は過去を振り返るプログラムが多く行われ、 既にないがセノンアートプログラムが、戦後50年を振り返った。 建畠あきらが瀧口修造を批判した。彼が政治批評しなかったこにより、70年代から政治主体がなくなった、と
2015-03-15 14:16:17[参照]
セゾン美術館 | 現代美術用語辞典ver.2.0
著者: 成相肇
http://bit.ly/1Lu3dCi
セゾン美術館 出版物
https://www.smma.or.jp/about/shop_publication.html
これに対し針生は反論している どんな反応か 瀧口は政治批評をしていない 詩人であり社会参加のアンガージュマンなく きわめて深いところで作家とふれあうので たてはたの意見が出てくるが、 (あなたも詩人だし、政治批評したのか?と疑問あるが)
2015-03-15 14:17:21赤瀬川の1000札事件起きた時、これも先と同様作家は孤立する。 しかしここで支えるのは批評家だ。 針生、中原は参加したが、東野芳明は参加してない。
2015-03-15 14:18:02福沢一郎が政治色が強い展覧会の審査委員が委員になっていることに拒否するよう批判した。 大事な局面で拒むべきことは拒む。 それを見ると、政治忌避は事実誤認だと
2015-03-15 14:19:33政治的なことが後退したのはなぜか。 それは針生一郎自分のせいだ述べている。 退役宣言した。活動がミニコミのような場所にしたから。 政治に関わるような活動は継続したが、発信力が弱く、説得力が下がり、80年代はテーゼすら出せなかった。 そのため政治的主体が低下した。 という懺悔
2015-03-15 14:19:51針生一郎は瀧口修造にもっとも影響を受けている。 「近代美術の原理」 針生が読んだ本はマルクス主義者というとさかじゅんから書くよう勧められたもので、唯物論的なもものだ。 物質を通じて現実を変革する。その間に芸術がある。
2015-03-15 14:22:08