2015.4.9~「不可視性の政治学」Yurihiranumaさんの読書メモ(更新中)
- uchida_kawasaki
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読書メモ:同時に、アーティキュレーションには、特別にオーガナイズされた適切なツールと質料的状況が必要であるーーすなわち、インフラ構造的状況が必要なのである。この2つが同一のプロセスの別々の側面であることを認識すると、重要な違いが見えてくる。
2015-04-27 07:44:45読書メモ:危険を推量的に定義するアーティキュレーションは、絶対的(正確あるいは不正確)ではなく、相対的であり対話的である。すなわち、放射線の可視性を増減する。
2015-04-27 07:45:15読書メモ:インフラ構造状況はこのプロセスの限界を定義するものであり、放射能の存在と健康影響への結びつきを明確に表現するインフラ構造状況が妨害されたら、不可視性が不可逆的に作られてしまうかもしれない。
2015-04-27 07:45:40(アーティキュレーションについてはまだまだ説明が続くけど、本全体を和訳している時間はないので、とりあえずは、2つある内どっちの意味かずっと悩んでいた言葉の定義が分かったので、その部分までやってあったものをTWしますた。)
2015-04-27 07:47:46”Catastrophe & Culture: The Anthropology of Disaster” 「大惨事と文化:災害における人類学」 sarweb.org/?sar_press_cat…
2015-05-02 13:31:56(続)チェルノブイリ事故後から影響を受けたサーミ族の民族誌学者である米国の人類学者、故Sharon Stephens氏が、1995年7月10〜14日に英国で参加した放射線防護サマースクールについて執筆した「第5章 不確かさを束ねる:チェルノブイリ後の放射線防護専門家の文化」より
2015-05-02 13:39:50”公衆による原子力の反対運動が、 先住民グループ、女性グループや「環境的人種差別」に反対する組織のような、文化、性別、人種、階級や国籍が異なる活動家らによって構成されるという歴史的時点において、放射線防護コミュニティーがこれらの違いを生物学的影響の分析で「平均化 」し、
2015-05-02 13:40:30(続)一般化された「一般大衆」への「リスク管理」のアプローチを開発し、専門的コントロールを「地べたにいる」人々からますます遠くなる地域レベルに集中・結集させるための科学的根拠を再主張しているというのは、偶然ではないように思える。”
2015-05-02 13:40:57Sharon Stephens氏の言葉が、「不可視性の政治」で引用されていたので、その引用文献を購入し、20ページ程の第5章を読んだ。放射線防護ワークショップの不思議さを人類学者の視点から綴った文章が印象深く、ぜひお会いしたいものだ思ったら、1998年に46歳で死去されていた。
2015-05-02 13:44:07ur.umich.edu/9899/Sep16_98/… よく見ると、「大惨事と文化:災害における人類学」の冒頭に、In memory of Sharon Stephens と書いてあった。
2015-05-02 13:46:56人類学者による、ICRPや放射線防護専門家らの主張についての見解は、興味深い。 「リスク評価:ICRPと国家規制機関の領域」(前略)ラドンと宇宙線への曝露の「自然さ」を強調することにより、専門家らはこれらは人々が毎日過度に心配せずに受けている放射線リスクであると示唆している。
2015-05-02 14:01:09(続)よって、それよりもずっと小さなリスクである原子力によるリスクに対する恐怖心は、「不合理」、あるいは、教養に欠ける公衆の「ヒステリー的」な懸念えあるとさえみなされる。
2015-05-02 14:01:20Sharon Stephens氏が執筆した第5章の〆の言葉: ”チェルノブイリ後の放射線防護専門家の文化の分析が示唆することは、災害というのは、特に災害であると認められないままの場合、甚大かつ広範な影響を持つということである。”
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