F/T10 シンポジウム @usuyamaさんのツイートまとめ
福嶋:都市に出て演劇をやるということはイレギュラー。でも東京は変な街、そこに出る試みは挑戦で、演劇概念を拡張する。
2010-12-20 01:18:57鴻:昨日の加藤さんが言った「近代日本の支配者は独自の文化を作らなかった」というのは、作るのを拒否した、ということでは。明治期、芸大、外大はできたが演劇学校は作られなかった。劇場の制度的確立を意図的に目論まなかった。日本近代演劇の国立劇場が作られたのは97年。
2010-12-20 01:24:29吉見:フラッシュモブについて。瞬間的な集合状態=演劇っぽい状態と、都市の中の固有の場所に蓄積された記憶との関係。
2010-12-20 01:28:24鴻:ポリスにおける市民統合の象徴は演劇だった。ヨーロッパ近代国家もそう。日本の場合それは天皇だったから、国が劇場を作らなければならない理由が無かった。
2010-12-20 01:33:10福嶋:実体がない=不在の中心から同心円状に広がる、というコミュニケーションの仕方はもともと日本にあって、そのひとつの現れが天皇制と考えたほうがよいのでは。
2010-12-20 02:21:57松田:従軍していた父の話から始めたかった。そのことをどう自分で処理したらいいか、というところから。長崎(都市)と父(個人)重ねあわせてリンクさせながら被害・加害、殺す・殺さないの二項対立を超えたかった。
2010-12-20 02:30:02福嶋:松田さんは大文字ではなく小文字の個人史からというのは古典的で倫理的な作品。高山さんは都市に出たほうが他者と出会える、という問題提起。それに関しては?
2010-12-20 02:32:28松田:これまでは劇場内で自分の作品(美学)をどう発表していけばいいか考えていけば良かった。今回の作品はノイズを拾いあげていく作業。作り手個人を反映させるだけではなく、ひとりでは抱えきれないものがいっぱい入ってくる。そういう部分は高山さんも同じと思う。
2010-12-20 02:35:09鴻:今回の松田作品は、役者がサイレントではない。観客も発言はしないがアクティブに動く。そのきっかけは広島・ハプチョンという都市だった。高山作品は観客が対話・議論しながら移動する。Port Bはそのための準備を緻密にする。演劇に参加すること自体が都市の歴史を見ること。
2010-12-20 02:41:40吉見:背景。役者の身体の強度に対する絶望?個室都市東京で感じたのは、高山さん自身が調査のプロセス=都市の様々な存在から声を聴くことを楽しんでいるということ。
2010-12-20 02:44:30松田:役者への絶望はある。役者が場に行って来て報告するという身振りの中に観客が感応してくれるといいと思った。観客がその場や人に直接出会うよりも、語る根拠のない出演者たちが媒介者として調査内容を報告すること。その媒介プロセス=出会った他者に乗っ取られるプロセスの中に演劇がある。
2010-12-20 02:48:56鴻:言語と身体の問題。60年代の特権的肉体論。言語の衰弱。気付いたら身体も衰弱している。言語の思考力、対話的力は都市を媒介にして取り戻すことができるだろう。
2010-12-20 02:55:09鴻:ベルリンの、人形を街に置く演劇について。観客はその人形を監視する。危険と隣り合わせ。実は市警の許可をとっているが。←これおもしろそう。
2010-12-20 02:56:58佐々木さん:エクス・ポの演劇特集について。表現芸術の中で自分が惹かれるものはアングラだった。80年代に上京してバブリーな演劇に引いた。90年代はほとんど演劇みてない。00年代に演劇再発見したきっかけはチェルフィッチュ「三月の5日間」(DVDで)←ここわたしも同じ!
2010-12-20 07:26:06佐々木:自分にとって心躍らされるような音楽と同じような感覚で「三月の5日間」は刺激的だった。それからかたっぱしから観に行くように。その結果が雑誌の特集。←読みたい
2010-12-20 07:27:07飴屋さん:身も蓋もない話ですが25歳ぐらいの時から自主的に何かをやることをやめた。自称するのが嫌だった。それは社会が決めてもらおうと思った。頼まれたことは断らないと決めてる。向いていようがいまいが、自分の考えは横に置いて引き受ける。
2010-12-20 07:32:51飴屋:美術も依頼で始めた。村上隆、小沢剛、会田誠のデビュー時期で、彼らのやってることに興味を強く持った。一方、90年代は演劇まったく観てない。平田さんの「静かな演劇」も知らなかった。やってみたらおもしろかったけど←そうなのか
2010-12-20 07:36:04