#melc2015_0416

映画を通して先生の問題意識を探る、第2段は、慶應義塾大学環境情報学部教授の加藤文俊先生にお越しいただいて、映画を観ました。 観たもの:キッチンストーリー
0
前へ 1 2 ・・ 7 次へ
ふじよし @5v_satoko

90分間ツイートをしながら映画を見る体験は、映画館ではなくゼミならではの時間だった。一つの映画と他人の見方も同時並行でしるのも、映画は共有しつつ自分だけで考えるのでは見終わった後の感想が変わると思う。次回は、共有なしで自分の中だけで考えることもしてみたい。 #melc2015

2015-04-17 00:18:07
ふじよし @5v_satoko

フィールドワークの観察者と観察対象者という明確に提示された関係性と、"会話をしてはいけない"という制約が、日常の姿を見る目的の観察なのにコミュニケーションのスタンスを非日常と変えていた。それは人間が感情を持ち、お互いの存在を無視できなかったから。 #melc2015

2015-04-17 00:05:23
むらまつ @chbmkty

#melc2015 FWで「観る」という行為は、調査する人が対象を観ている以上に、観ているところを調査される人に観られているという矛盾のような事実を感じた。会話や意識、目線が相互に交わされることにより、2者間の距離が近づいてゆくように思うが、ここで大事なのは、同一にならないこと。

2015-04-17 00:02:02
misora @82_ochimi

#melc2015 #reflection 「観察する側」と「される側」との立場が逆になることがある。「される側」が見られていることに意識がいき、自然と「観察する側」を気にするからだ。

2015-04-17 00:00:47
misora @82_ochimi

#melc2015 #reflection 観察する側は、第三者にフィールドワークで得た気づきを発信する必要がある。だから、観察される側とどこかで線引きをすることが大事なのかもしれない。というは、「気づき」を得るには俯瞰的・客観的な視点が必要だと思うから。

2015-04-16 23:56:13
misora @82_ochimi

#melc2015 #reflection 映画『キッチンストーリー』より、フィールドワークにおける「観察する側」と「観察される側」の関係性の変化について考えました。観察する側は、感情のコントロールをしないと、観察される側に情がはいり、いつしか相手側になってしまう。

2015-04-16 23:51:53
@samhibiki

#melc2015 「映画観ながらTwitter意見交換いいね」と呟いた時、ジェニーが乗ってきたのが面白かった。その後藤吉、八木橋君も続いたことで意見交換の輪は広がった。アイデアに共鳴し、行動を起こすフォロワーを見ている感覚だった。m.youtube.com/watch?v=RXMnDG…

2015-04-16 23:49:08
ふじよし @5v_satoko

@TakeruNagaoka @jennywmc たしかに発話に焦点はあたっていました。しかし、会話をせずとも相手を理解しはじめたアイコンタクトの瞬間や、会話なしでお互いの意識を確認するノンバーバルなコミュニケーションの話もしました。論をずらして、すみません。#melc2015

2015-04-16 23:48:12
長岡 健 @TakeruNagaoka

@5v_satoko @jennywmc 加えて、今日の映画では、「発話(ないしは会話」に焦点が当たっていたという文脈を踏まえると、コミュニケーションの定義を藤吉さんの言うように理解するのは無理があります。#melc2015

2015-04-16 23:42:52
ふじよし @5v_satoko

@TakeruNagaoka @jennywmc なるほど。私の解釈とは違うんですね。先生がjennyのツイートから感じたコミュニケーションの定義はどういうことですか? #melc2015

2015-04-16 23:41:00
長岡 健 @TakeruNagaoka

@5v_satoko @jennywmc 違います。ジェニーそう定義してません。#melc2015

2015-04-16 23:37:42
ふじよし @5v_satoko

@jennywmc うーん、それを最高とするかは人の価値観によるなーと思った。勘違いがうまれて、ミスコミュニケーションになる可能性もたかそうだし。#melc2015

2015-04-16 23:37:09
ふじよし @5v_satoko

ノンバーバルコミュニケーション! #melc2015

2015-04-16 23:36:04
長岡 健 @TakeruNagaoka

そこまでする気はありません。みなさん、小学生ではなく、大学生なんですから。@jennywmc 先生が声をかけることによって学生がハッと気づき、よい勉強になると思います。 #melc2015

2015-04-16 23:35:25
ふじよし @5v_satoko

@TakeruNagaoka @jennywmc コミュニケーションの定義によると思います。その場にいること態度やふるまい=コミュニケーションだとすれば、ジェニーのいう人はコミュニケーションはせずにいられないという説明や解釈の仕方もできるのではないでしょうか。 #melc2015

2015-04-16 23:34:54
長岡 健 @TakeruNagaoka

私の講義を受講してるゼミ生が挨拶もしないで退室していくことは多々あるし、ゼミ時間中に私とは一言も会話しないゼミ生もいる。これらはどう解釈すればいいんだろうか? @jennywmc 人は生きている上でコミュニケーション取らないのはあり得ないと改めて気づいた。#melc2015

2015-04-16 22:36:41
Jënny Wü @jennywmc

沈黙に恐れるより、人がいるのにいないような振る舞いをしなければならない居心地悪さが最もあの二人関係性を変化させた要因のではないか。人は生きている上でコミュニケーション取らないのはあり得ないと改めて気づいた。#キッチンストーリー #melc2015

2015-04-16 22:26:43
Jënny Wü @jennywmc

#キッチンストーリー 観察する人がルール破って観察される人とコミュニケーションを取った。観察という立場からだと失格だと思うが、調査する立場では実際会話を交わった方が得るものが多い気がする。目的(自分の立場)を意識しないと 観察される人々物事に左右されやすくなる。#melc2015

2015-04-16 22:22:40
こいずみ @koizm_zmn

調査者の状態・視点も良き調査の一つ大事な要素だと思う。映画内では調査者のダメっぷりとして、偏った食生活や車中泊といった健康状態の欠落。仕事への姿勢は高圧的な上司、給料目的であるような描写から受け身姿勢。調査対象に注目し過ぎて自分の事を忘れるのは危険だなと感じた #melc2015

2015-04-16 21:34:53
Crazy Hair @myiutiav

@chbmkty 加藤先生がFWのやり方の内容はあっても、終わり方の内容がないように関係は続いていく だからこそ、その変化などの一早い情報が得られるために観察としての視点は持ち続けないといけないのかもしれないと思いました #melc2015

2015-04-16 20:49:59
むらまつ @chbmkty

#melc2015 越境は長くて半年間というのは、ゆでがえる現象になっていくことに気がつかないからだと思うし、よそ者としての立場ではなく仲間になってしまうからなのだと思った。中に入ってしまったら自分と行動や思考の差がなくなってゆき、気づきが減ると予想。意見の違いから発見はある。

2015-04-16 20:24:07
むらまつ @chbmkty

#melc2015 調査する人と調査される人の関係の終わり方が示されてないのは、関係を築いたり、コミュニケーションをとることをたじめたりしたことで、その関係に終わりがないからだ思う。いずれはそこから抜けることになるが、抜けてからも関係は続いてゆくはず。無視はできない状態だと思う。

2015-04-16 20:16:24
ふじよし @5v_satoko

@chbmkty それはとても感じた!だからこそ、今回のようなお互いを語り合わないという制約があったほうがバリアなしの関係を気づけるかもしれないなと思う。 #melc2015

2015-04-16 20:02:08
ふじよし @5v_satoko

@TakeruNagaoka あると思います。逆も然りで、観察対象者が良かれと思って意識することで、魅せようと意識がうまれパフォーマンスになることもありそうです。お互いが観察者と観察対象者という意識がある中で自然な行動を観察するということの難しさを感じました。 #melc2015

2015-04-16 19:57:00
Crazy Hair @myiutiav

今回の映画はフィクションだか、ドキュメンタリー映画もノンフィクションであるためFWと同じく線引きして知る必要がある 映画の場合は製作者の主観性があり、誘導的な危険性があるかもしれないが、観る人は客観性を維持して判断できる FWは直接向き合うが、客観性が薄れる #melc2015

2015-04-16 19:33:30
前へ 1 2 ・・ 7 次へ