襖を開け部屋の中へ入ると、先程まで座していた席へ今一度掛けなおす。溜め息をつき、カンカラと音を鳴らして煙管を机の上へ転がした。 ふと後ろを振り返り、締め切っていた障子を僅かに開けると、昼間の陽光の煌きとはまた違う光が差し込んできた。
2015-04-25 23:10:06そのまま障子を開け放ち、縁側へ腰かける。中庭に植えられた桜の木はすっかり青く染まり、間もなく訪れる季節へ向けてその姿を変えていた。月の光を浴びた木の枝は末端に至るまでが白く輝き、まるで白い桜を咲かせているようにも見える。
2015-04-25 23:12:00ある程度の落ち着きは取り戻したとはいえ、ひどく憐れみを湛えた喪失感の波に襲われる。普段から危ないことに首を突っ込む子達だとは思っていたために、―それは日蝕鳥の構成員全てへ言えることではあるが― 常に警戒していたことではあった。
2015-04-25 23:14:53我ながら馬鹿なことをしたかもしれない。自分の半生も生きていない人間が命を落とすかもしれない、それをみすみす見逃すというのか?挙句の果てには、自分の身勝手な行動で大切な存在を振り回し、その子にとってかけがえのない瞬間を根こそぎ奪おうと言う、それを止めることだって出来ただろうに。
2015-04-25 23:18:15少なくとも、自分にそれほどの力があるかは別として。ここで聞いたこと全てをなかったことにしてしまえたらどれほど楽だっただろう。怒鳴りつけて、殴っていれば少しはスッキリしただろうか。協力しないという手も、あった筈だというのに
2015-04-25 23:19:30後悔も、怒りも、今は何も感じない。まるで昔の自分を見ているようだと、可笑しさすら込み上げてくる始末だ。自分の足を撫でさすり、命を落としかけたあの頃の自分を思い出す。
2015-04-25 23:21:36「……今も昔も。守りてぇもんがある奴ってなぁ、強ぇ。」 それ故に自分一人では止まれないことも、重々承知している。 己はまさしく、止まることができなかった人間だから。
2015-04-25 23:23:26命を落とすまさにその瞬間、心に浮かんだものはまさしく恐怖。そして、自分のちっぽけな『理想』。 彼の目がまるで不安の渦巻く海のように揺れていたことを思い出し、煙管を手に取る。
2015-04-25 23:25:26それでも彼の目には一筋の光が宿っていた、少なくとも、雉子の目にはそう映っていた。 彼がそれに気付くのは、目の前を覆う暗雲に気付くのはいつになるのかわからない。けれど、その光は確実に迷える彼を救う筈だから
2015-04-25 23:27:01「――残念じゃのぉ、駿や」 火を点けた煙管から肺一杯に煙を吸い込み、雉子は笑みを浮かべる。薄く開いた口の端から漏れ出す紫煙は、雉子の周囲を取り巻くようにそよ風に巻かれて夜の闇へ溶け出していく。 「儂ぃの"息子"は、どうやらお前さんの手中に収まりきらねぇよ」
2015-04-25 23:31:26例え彼が命を落とし、如月ハイジの記憶が一部だけ奪われたとしても。どれだけ構成員が仮面を被り名芝居を打とうとも。この日蝕の血を継いだ彼を抑え込むことなど、誰にもできはしない。きっと彼は、自分の全てをかけてでも、記憶を求めて闘い続けるだろう。自分と、過去と、思いだせない誰かと
2015-04-25 23:35:16例えどんな形で引き裂かれようと、あの二人なら問題ない。この雉子菊之丞が手を出すまでもないだろう。 全く根拠のない自信が、胸の内に湧き上がる。くつくつという笑いが込み上げる。一体、何を馬鹿な気迷いを?陰鬱な気持ちを吹き消すように、雉子は胸いっぱいに吸い込んだ紫煙を天へ噴きかける。
2015-04-25 23:40:41全てを知っている者と何も知らない者の間を執成す位置にありながら、この男は呑気に伸びをする。伸びがてら腕を伸ばし、小気味よい音を立てながら皿の中へ煙管の灰を落とす。そのまま縁側へ寝そべり、白い光と金の地が織りなす美しい月を眺める。
2015-04-25 23:45:20