- potfield1979
- 1741
- 0
- 0
- 0
以前旅行した丹後地方の伊根の集落を思い出しました。
しかし、こちらは舟屋という船を収容する機能を持つ住宅ではありません。
東萩駅前で自転車を借りて萩観光へGo! instagram.com/p/2FCkyCPRS7/
2015-04-30 09:21:01この時、雨で自転車を借りられないのではないかと心配はしていましたが、杞憂でした。
が、この後、少し面倒なことになってしまいます。
松陰神社に着いた ※東京の方ではありませんw instagram.com/p/2FDlWgvRUd/
2015-04-30 09:29:50東京の方の松陰神社について詳しくはこちらw
http://www.shoinjinja.org/
松下村塾なう。吉田松陰は己の智孝をこの小さい建物から身分貴賤を問わず若者へと受け継いでいった。 instagram.com/p/2FD7SNPRU7/
2015-04-30 09:32:49控え室と言われているところ。ここで塾生は様々な学問の自習や議論を行った。 instagram.com/p/2FEIPkvRVM/
2015-04-30 09:34:35ここが講義室。松陰公がここで塾生に教えを施したり議論を交わしたりした。 instagram.com/p/2FESY9vRVa/
2015-04-30 09:35:59中二階が本当にあったわ…w あの狭い空間で懇ろに学問に打ち込んだ松陰公のストイックさを垣間見ることができる。
2015-04-30 09:38:37わずか2年足らずの命脈だった松下村塾、その質素な建物から革命へのエネルギーが蓄積されて爆発したことは、まこと日本史上の奇跡と言ってもよかろう。
2015-04-30 09:40:47黒船密航未遂から松下村塾に移動するまで松陰公が幽囚された旧宅。ここでも己の智孝を養うことを忘れなかった。 instagram.com/p/2FFSTDPRW6/
2015-04-30 09:44:42ここが松陰公が二度にわたって引きこもり…ではなく、幽囚された部屋。この3.5畳間でも情熱の発散を怠らなかった。 instagram.com/p/2FFyizvRXi/
2015-04-30 09:49:06放物殿の拝観だん。松陰公直筆の遺書留魂録をはじめとした直筆や、江戸へ送致される直前に松浦松洞が描いた松陰公の人物絵には心震えるものがあった。「身はたとい武蔵野に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」 instagram.com/p/2FJw0pvRdR/
2015-04-30 10:23:49