ジョニー・ロットンと正岡子規 by @k551_jupiter

3
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

今回の授業は、漢詩・和歌・小説→俳句と、クラシック・ポップス→パンク・ロックの共通点を踏まえた上で、ロンドン・パンクのバンド、ピストルズのヴォーカリストのジョニー・ロットンと、「写生」を提唱した正岡子規の共通点にも言及した。

2010-12-22 22:07:08
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

アイルランド系移民のワーキング・クラス、しかも身体が弱くて肉体労働がほぼ無理だったロットン。ろくに歌も歌えず、いい服も買えなかったため、いつも着ていた破れたセーターでステージに上がり、自分を全く相手にしない社会に「No Future!」とがなりたてた。まさに破れかぶれの行動。

2010-12-22 22:15:28
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

かたや帝国大学を中退し、夢見た小説家になれず、新聞記者になり、俳句で名を上げようと思いきや俳壇は全く相手にせず。しかも業病で余命数年を宣告されたため、ついに癇癪をおこして大家を名指しで批判し、俳壇全体に「No Future!」と叫んでしまった正岡子規。まさに破れかぶれの行動だ。

2010-12-22 22:19:28
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

よく、子規はその登場とともに僅か数年で俳句革新をなしとげた、と言われるが、実際は全く逆で、当時の俳壇の重鎮達からすると、子規は俳壇外の素人とされ、俳人と見なされていなかった。その俳論も、句作も、当時の俳壇の常識を無視したものと見なされ、子規は存在しない者として扱われたのが事実だ。

2010-12-22 22:58:18
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

ピストルズも同様で、確かにアルバムは10万枚以上のセールスを記録したが、音楽業界的には「存在しない者」として扱われたに等しい。イギリスのライブも数百人程度で、ツェッペリンやベイ・シティ・ローラーズの売り上げや動員数からすると、全く比較にならない。

2010-12-22 23:02:27
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

たとえば、ピストルズが業界大手のEMIを名指しで皮肉った「E.M.I」など、音楽業界で生きていこうと思えば絶対に歌えない。それと同様に、子規は新聞に連載した「俳句問答」で大家を名指しで否定したが、俳壇内で生きていこうとする俳人の発言ではありえない。

2010-12-22 23:09:47
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

ピストルズも子規も、それが可能だったのは、彼らには失うものがすでに何も残っていなかったからだ。で、これは鮮やかに反体制を表明したとか、高い理想に向かって改革を目指したとか、そういうのではなく、失うものすら持ち合わせていない、追いつめれた者達の絶望的な開き直りに近い。

2010-12-22 23:19:26
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

で、先日の研究会はその子規(?)に宛てた夏目漱石の書簡を勉強した。正確には、明治23年8月9日付の手紙。当時の郵便制度や投函の方法、また東京―松山間の郵送ルートが問題になったり、また漱石の手紙に複数の文体が混在していることの意味などを討論しあい、とても勉強になった。

2010-12-22 23:26:42
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

また、別の研究会では江戸の俳人、几董の句集『井華集』を輪講した。「さみだれの夜は音もせで明けにけり」の時間感覚が近現代俳句とかなり違うことや、また歴史上の人物にある趣向を立ててフィクション的に句作した作品などもあり、近現代では失われたリアリティがうかがえて、これも勉強になった。

2010-12-22 23:30:26