《原発事故の被害の様子は、データではなく人間の言葉で集め、語るべきだ》

自己ツイートをまとめました。 原発事故発生後、間もなく4年1ヶ月経過しますが、 事故被害者の言葉は、それ以外の人々に伝えられていません。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「データで見る」って、 あのね、みなさんがご存じなかったのは、 原発事故発生前の「福島県」について、だったんだよ。 興味、無かったよね? 原発事故が発生して、急に福島県関連の報道が増えて、 そこで事故前の部分も含めて、間違ったイメージが出来た。 スタートは、地方への無関心。

2015-05-10 07:58:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故前には知らなかったこと、正確には「興味なかったこと」を 事故発生前に「知った」つもりになってるだけですよ。 それも、真っ当な学問的手法を使えない「社会学研究者」からの情報で。 情報発信が事故発生以前になかったわけじゃないんですよ。 赤坂憲雄氏とか星亮一氏とか発信してましたよ。

2015-05-10 08:01:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

でも、全国メディアにとっては、 赤坂氏や星氏が発信する内容は、注目したくない内容が多かったのです。 「中央が地方を抑圧してきた枠組み」に関する報道につながりかねないし、 「明治維新は悲劇を生んできた」話になるかもしれない。 加害者がいる話は、全国に大声で発するのにはむかない。

2015-05-10 08:04:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

話題に最も向かなかったのは、 明治維新発生後、一貫して、 「日本の政治経済中枢は、地方住民の意向に配慮したことなどなかった」という事実を知らせること。 中枢に近寄ろうとしてきた国民も、地方の一般住民の意向を全力で無視してきたこと。 「地方」の有力者や状況する人も共犯になること。

2015-05-10 08:15:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「日本経済」について語る人も、「世界経済」について語る人も、 「日本社会の発展」について語る人も、 「学会」や大手マスコミの「主流」に座る人たちも 首長でもない地方住民の意向について、聞き取る必要さえも感じなかった。 そこに意を唱え続ける人は一定数存在したが、無視されてきた。

2015-05-10 08:32:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

地方住民の意向を伝えようとする人々は、「明治維新」前後から存在し続けてきた。 当初は、実力行使もやむなしとの姿勢で貧民救済を旗印に掲げた人々。例えば秩父事件など。 最底辺の貧民の生活を伝えようとする人の著作、松原岩五郎「最暗黒の東京」や横山源之助『日本の下層社会』が残っている。

2015-05-10 08:54:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、最底辺の住民の姿を伝えようと残されたものは、やはりどうしても東京とその近辺が中心になった。自由民権運動と連動して日本各地で発行されるようになった地方新聞は、自由民権運動への弾圧などによって、独自性と住民集約能力を失っていく。近代にふさわしい、中央集権経済によって。

2015-05-10 09:36:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに、明治政府が、人材の中央集権化を進める。 帝国大学を設置し、「国家有為の人材」を政府とその関連する領域に集める。 知識と教養を手にしようとすれば、帝国大学とその縁につながることが有利になるようにしていく。そこに資金が回るように、東京政府の官僚が手を加えていく。

2015-05-10 09:43:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この頃すでに、2010年代の日本につながる、 「形式上は、近代国家建設を目指す資本主義的国家財政と、民間企業の重点的育成による経済。 内実は、政府が集めた税金を、政府と官僚が選別した組織に融通して土木工事をさせる経済」が出来上がっている。 現在もそれを抜け出す事が出来ない。

2015-05-10 09:53:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

明治政府成立以後、日本社会は学校の義務化を進め、 国民の中で文字の読み書きを覚える人間の比率は上がっていく。 それは、数字ではなく言葉を使って国民が状況や意志を伝える機会を獲得することでもある。データの中の1ではなく、1人の人間として、表面に出てくる機会が獲得される。

2015-05-10 10:00:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

近代日本国家は、「中央集権」と「近代化」の掛け声で、国民間の不均衡をむしろ積極的に作り出す姿勢を続けてきた。 経済学的に言えば「資本家への資本の蓄積」として肯定的に表現することも可能だろうが、 国民の生活実感で言えば、不公平の拡大、今風に言えば「格差増大」の進行過程だった。

2015-05-10 10:04:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「格差増大」の中で、底辺に苦しむ人たちが表現する機会、表現を知る機会を獲得すれば、 当然そこでは格差への違和感の表明が行われる。 大人ならば、当時流行の「プロレタリア文学」への表現者・受容者としての参加だ。 子どもたちならば、学校での「生活綴り方」での作文だ。

2015-05-10 10:10:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「プロレタリア文学」が目指した、政治的な達成目標については、私は賛同できない。 しかし、広い範囲の日本国民が「プロレタリア文学」を受け入れたのは、外国のスパイがあおったからでもなければ、国家転覆に賛同する人間が多かったからでもなかったはずだ。 目指したのは「格差の是正」だった。

2015-05-10 10:14:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「生活綴り方」の場を子ども達に提供した教員達も、別に国家転覆を目指したわけでもなかった。目の前の子ども達が、食べていくことさえも困難で、学校での学習に参加することさえ当たり前ではない、貧困状態にいる様子を見たからだ。 大人も子どもも言葉を獲得し、データではない存在として現れる。

2015-05-10 10:19:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ならば、プロレタリア文学や生活綴り方から出てくる言葉を、意見を、希望を、汲み上げて反映すれば良い。 はずだった。 では、実際に日本社会では何が行われたか。 弾圧だった。中央政府や警察による逮捕と転向の強要だった。 プロレタリア作家や、綴り方運動の教師が対象にされた。

2015-05-10 10:26:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そして、残ったものは、データとしての人間だった。 制御できない、思いを言葉で発する個人ではなく、 如何様にでも加工できる、言葉を伴わない数字だった。 言葉が必要なら、政府の代弁者として安定している人間に発語させる。 首長とか官僚とか、政府に迎合する小説家とか。

2015-05-10 10:30:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

どうしても言葉で表現できない存在ならば、データで表現するのもやむをえないのかもしれない。 しかし、言葉を持ち、言葉で表現したい思いを持っている存在ならば、言葉で思いを表現してもらい、それを集める努力が優先されるべきではないのか? 東京電力原発事故発生後、その努力は行われたのか?

2015-05-10 10:43:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本社会には、新聞もテレビも出版社も、多数存在する。 正直、現状では受容を上回る供給が可能なのではないかと思われるほどの数で、存在する。 さらに、WEB上の情報伝達媒体まで加えると、明らかに受容を上回る供給があるように思える。 ならば、メディアは、被害者達の言葉を集めただろうか?

2015-05-10 10:48:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

例えば、原発事故被害者達の言葉を集めた書籍は、どれだけ発行されただろうか? あるいは、被害者自身の思いを伝える形のテレビ番組は、新聞記事は、どれだけ公表されただろうか? 流通しているものの殆どは、被害者の言葉を伝えるのではなく、他の人の目を介しての「作品」だ。

2015-05-10 10:52:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生当時の福島県民の一人として、最低でも避難指示を受けて避難した住民の経過は聞き取り調査が行われて、まとめられるはずだと、私は思い込んでいた。 しかし、そのような全数調査を行うどころか、抽出調査さえも行われそうな気配さえ見えない。言葉での調査は行われない。

2015-05-10 11:08:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

言葉での調査に代わるかのように、今年になって一部の人が言い出したのが、 「客観的に見る事が出来るデータで考える」という話だ。 ちょっと待ってくれ。 なぜ、言葉を集めることを放棄しようとするのか? あるいは、言葉を集めることを放棄させようとするのか? まだ努力さえも行われる前に。

2015-05-10 11:13:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

言葉を集める方法が存在しないならば、仕方が無いかもしれない。 しかし、自由記述式の無記名アンケートなど、行う方法は、社会的に存在するのだ。 「聞き取り」を行う学術的な方法も、既に研究・整備されているのだ。 存在しないのは、言葉を集めることに関するメディア側のメリットだ。

2015-05-10 11:28:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

残念ながら、日本で発生している原発事故に関しては、 国家政府は加害者側に立っている。 (実際に民事訴訟で加害責任を問われる被告になって、係争中だ) 福島県庁も、国家政府以上に被害調査には消極的だ。 自治体役場の多くはマンパワーの問題で住民からの聞き取り調査を行えない。

2015-05-10 11:53:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

東京電力が発生させている原発事故について、 東京電力が被害状況や避難状況の聞き取り調査を詳細に行い公開するのも、利害関係から考えると妥当性が疑われる。 こうして見直すと、被害状況や避難状況についての言葉による調査を日本国内の公的組織が行う事を期待するのは困難そうだ。

2015-05-10 12:00:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

公的組織が望まないのならば、 日本では政府からの直接間接の恩恵を受けて「経済活動」を行ってきた日本企業も望まない。 政府と企業が望まない「国民の言葉の聞き取り」を、日本のメディアも望まない。 政府も企業もメディアも望まない「言葉の聞き取り」ならば、日本の「科学者」も望まない。

2015-05-10 12:06:06