《『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』に対する個人的メモ》
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karitoshi2011
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なるほどね。 開沼氏の「フクシマ論」は、2012年6月に関東社会学大会の震災特別セッション2で発表された「『ムラの欲望』とは何か」(清原悠氏)で、すでに根拠の薄弱さを完膚なきまでに指摘されていたのか。 開沼博氏がもてはやされ、清原悠氏が注目されなかったのは、誰の「欲望」故なのだ?
2015-04-22 20:16:20
「ムラの欲望」とは何か -開沼博『「フクシマ」論』における「ムラ」と戦後日本の位置- 清原 悠 (東京大学大学院学際情報学府博士課程) l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/review…
2015-04-22 20:18:48
書籍の腰帯を見ても、 ネットの書評を見ても、 すぐには分からなかった事が、 書籍実物のあとがきの中の謝辞を見て、 書籍実物の注を読むだけで、分かる事がある。 なんだ。 単に東京大学卒で、東京大学大学院在籍者である人間が その立場通りに「東大論法」を使っていただけか。
2015-04-26 01:49:36
相変わらず「福島」という、境界も規模も何を指すのか分からない表現に、イラついている私。 葛飾区と八王子市の食文化を新宿区の人に「同じに決まってる」みたいに断言されたら、両者は納得しますか?
2015-04-26 14:30:54
「ポストコロニアルスタディーズの限界」みたいなことを書く人が、 「植民地買弁」について知らない、などということがあるのだろうか? と開沼博氏の文章を読んで悩んでいる。 開沼氏の定義では、開沼氏自身は原発立地地元住民に入るのか入らないのか、どちらなんだろう?
2015-04-28 16:56:48
読むと決めたから、なんとか読み進めてはいるものの、 ここまで薄汚い、立脚点のごまかしと、憶測と、表現によるイメージ操作とに満ち満ちた単行本を読むというのは、初めての体験だ。 歴史修正主義者による事実捏造本のほうがまだ、立脚点を明らかにしてるだけ、マシだった。 ここまでひどいとは。
2015-04-29 20:29:54
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(開沼博 青土社 2011年) 「ムラの正常な日常」(P50) 「純粋のムラ」(P51) それは、いったい、福島県の原発立地地点、立地自治体に、何年から何年ごろに存在したもののことを言っているのだろう?
2015-05-02 13:02:31
「福島県の原発立地(計画)自治体は、研究者達の注目を惹く程の葛藤(反対運動や混乱を指すらしい)がなかったので、研究対象に選んだ」というのが、開沼博氏の「学術論文」のフィールド設定の動機だと。(『「フクシマ」論』P070)
2015-05-02 17:46:57
福島県の原発立地自治体には、本当に研究者が注目するものはなかっただろうか? 例えば『プロメテウスの罠9』 goo.gl/Adras0 掲載の、楢葉町の仏教寺住職で、かつては高校教員だった早川篤雄氏の行動などは、開沼氏の目にはどのように映っていたのだろうか?
2015-05-02 17:54:38
楢葉町の早川篤雄氏は、福島第2原発立地時点から、ずっと継続して、原発の建設、増設、運転に反対して、粘り強く活動を行ってきた。 早川氏の活動は、署名の呼びかけ、法廷闘争など多岐にわたり、ベタ記事ではあっても地元新聞にも繰り返し取り上げられてきた。
2015-05-02 17:58:10
楢葉町の早川篤雄氏の公的な記録でWEB上に残っているものは、 例えば2004年5月開催の「市民参加懇談会in福島・ふたば」(福島県双葉郡富岡町で開催)の記録だ。 aec.go.jp/jicst/NC/simin… 「研究者が注目してこなかった」とは言えない活動が、ここにはあった。
2015-05-02 18:09:39
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(開沼博 青土社 2011年)では 「七〇年代後半から始まる社会科学・人文科学的な原子力研究は、長らく、マクロ・メゾアプローチを中心に行われてきた。特に原子力行政や経済的な観点からの分析は九〇年代以降に盛んになっており」(P068)
2015-05-02 18:15:17
という記述があるが。 年代による研究の変化を示すような具体的な根拠は、開沼氏の書籍の中には見当たらない。 研究や書籍の統計を示すわけではなく、変化の画期を示すわけでもない。 単なる印象論以上の根拠が示されていないのだ。
2015-05-02 18:19:05
加えて、開沼博氏は、自らの視点の根拠となる学説を、1953年の鈴木榮太郎の論文から持ち出している。(前掲書P067-068 など) 日本の社会学研究は、60年前の枠組みに戻らないといけないほどの迷走を続けていたのだろうか? 日本農業がまだ、食糧増産に懸命だった頃の話にまで。
2015-05-02 18:26:19
開沼博氏の「論文」には、新しい枠組みも理論も、特に見当たらない。 「地方は、中央が押し付けたさまざまな『葛藤』を飲み込みながら『正常』な『日常』を続けていくしかない」という、「中央」に従属する生活を続けるよう「地方」に押し付けているだけだ。新味を探すなら「葛藤の受容の強要」だ。
2015-05-02 18:32:07
なお、公正を期すために付け加えておくが、 楢葉町の早川篤雄氏は定年退職まで、私が避難前に所属していた教職員組合の組合員であり、さまざまな集会でも同席させていただいた間柄だ。 私自身は、早川氏の活動の積極的な賛同者ではなかったが。
2015-05-02 18:42:40
第48回原産年次大会プログラム 一般社団法人 日本原子力産業協会 2015年4月13日(月)~14日(火) 基調テーマ「なぜ原子力か?」 jaif.or.jp/cms_admin/wp-c…
2015-05-02 19:28:24
第48回原産年次大会プログラム jaif.or.jp/cms_admin/wp-c… (以下、プログラムの引用) 第48回大会は、福島第一原子力発電所の事故後、原子力に否定的な世論が長期化・定着化している中、本当にこのまま脱・減・遅「原子力」を図った場合、日本の将来は一体どうなるのか、
2015-05-02 19:30:10
(引用 続き) また世界への影響はどうなるのか、海外の経験と知見に学びつつ、日本と世界において原子力が果たす役割を考える。
2015-05-02 19:33:18
(引用 続き) セッション2 このままでいいのかニッポン このセッションでは、脱・減・遅「原子力」を図った場合、日本の将来は一体どうなるのか、エネルギー安全保障や国力(経済・技術・人材)の観点から議論する。 ○ モデレーター:澤 昭裕 21世紀政策研究所研究主幹
2015-05-02 19:34:14
(引用 続き) 福島セッション ふくしまの未来予想図 このセッションでは、福島の復興に向けて前向きに取り組む福島の人々の姿を伝えるとともに、産業界や消費地が福島の復興のために出来ることを、福島の将来を担う世代とともに考える。 モデレーター:開沼 博
2015-05-02 19:36:35
本当に、全篇、どこをとってもツッコミ所だらけという、非常に珍しい「研究者」による「専門」の書籍を見ているわけだが。何しろ、文章の初出に関する明確な記載さえ、独立されていないのだ。 これでは、エッセイ集よりも事実確認が困難だ。(エッセイ集でも通常は、原稿初出時の記載がある)
2015-05-02 23:23:04
署名は『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』 著者 開沼博 出版社 青土社 発行 2011年6月30日初刷 私が購入したのは、2013年6月25日発行の第13刷だ。
2015-05-02 23:26:04
同書のP366の本文記載によると、 「序章」から「終章」まで(P022~P363)は、著者が2011年1月14日に東京大学大学院学際情報学府に修士論文として提出し、同年2月11日に受理された 「戦後成長のエネルギー 原子力ムラの歴史社会学」に最低限の加筆修正を施したものだそうだ。
2015-05-02 23:31:31
同書の導入部分と補章は、原発事故発生後の書下ろしという事らしい。 先にも書いたことだが、人文科学や社会科学の書籍、あるいは小説や評論本やエッセイ集にはたいてい記述がある文章の初出に関する明記が、補章の文章中にしかないからだ。
2015-05-02 23:36:16