言葉の重みについて

言葉の重みとは何か?から始まり、世界とは、私とは何か?へと発展していく、哲学の歩みを辿るような雑談をまとめました。ツイッター独特のいろいろな方向に話が飛散していく感じや、人のツイートをきっかけに思考がドライブし始めるような、グルーヴ感の痕跡が見られるでしょうか。
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サトクダマキモドキ @chrysalisys

身体から切り離された言葉には重みがない

2010-12-22 08:45:56
@kiyoxsaito

@chrysalisys それはつまり考えられていない言葉、という意味でしょうか。 QT: 身体から切り離された言葉には重みがない

2010-12-22 10:39:20
サトクダマキモドキ @chrysalisys

@kiyoxsaito 身体が何らかの形で言葉の責任を持つということだと思うのです。それは対外的な責任ではなく、なんか言葉そのものに対する責任とでも言いましょうか…「考える」という行為が、身体に言葉を通すということであれば、そういうことになると思います。

2010-12-22 20:23:16
@kiyoxsaito

@chrysalisys なるほど、言葉を大切にするということでしょうね。身体に言葉を通すという表現はなんだかいいですね。言葉というものに敬意をはらうという感じもする。そうなると身体を通すその言葉は身体の向こう側?からやってくることになるのでしょうか…

2010-12-22 22:40:38
サトクダマキモドキ @chrysalisys

@kiyoxsaito そう思います。僕たちはある言葉を身体的体験として繰り返し経験することで、やっとそれを自分の言葉として話せるようになるのだと思います。

2010-12-23 01:28:31
@kiyoxsaito

言葉とは何だろう?言葉はどこからやってきたのか?思ったり考えている時、すでにそこに言葉がある。言葉がなかったら思うことも考えることできない。言語ではなく、言葉。

2010-12-23 13:46:37
@walt_sky

言葉とは「場」なのかもしれないね。誰かと誰がが出会う場所という意味での。「こと」の「ば」みたいな。つまり言葉とは「事」を用意するものってこと?

2010-12-23 13:57:53
@kiyoxsaito

@walt_sky おお面白いね。事を用意する場。まさに物事は言葉がつくっているということだね。

2010-12-23 14:21:27
@walt_sky

@kiyoxsaito いやーわからん。あくまで言葉は物事、事物の付属物に過ぎないような気もする。あくまで事物が先行するんだよ、という態度。というか… それじゃ安易な経験主義に陥ってしまいそうではあるが、ホテルの従業員やお店の従業員を見よ。というようなことを言いたい気もする

2010-12-23 14:24:46
@walt_sky

言葉とはあくまで事を駆動させるための機能に過ぎない、言葉それだけでは意味を成さない。というふうに、つねに言葉の力を制限していく倫理

2010-12-23 15:06:25
@kiyoxsaito

@walt_sky たしかに物事に対して意味を付与しているのが言葉。物事が先にある。ここに何かがある、これを石と呼ぶことにしよう。というふうに。でも石は石と呼ばれる以前は、何だったのだろうか。

2010-12-23 17:20:49
@walt_sky

@kiyoxsaito たぶん、「石」という行為があったんじゃないか。「石」という形状や「石」という成分、それらが少しずつ概念化されるのと同時に結晶化されたものが「石」という言葉だったのでは。世界が分節化されるのと同時に言葉が生まれたのだろうけど、瞬時に生まれたとは思えないな…

2010-12-23 18:34:29
サトクダマキモドキ @chrysalisys

@walt_sky @kiyoxsaito 石は大地だったのかもしれないですね。誰かが大地と石を異なるものとして経験し、その機能を取り出して生活のなかで役立てることになったとき、大地と区別して他者に伝える必要が生まれて石という発音が使われるようになった…のかな。

2010-12-23 19:33:16
@walt_sky

@chrysalisys なるほど。それこそ「マイルストーン」のように石をある基準に見立て、「いち=1」みたいな機能を持たせた…とか

2010-12-23 19:35:39
@kiyoxsaito

@chrysalisys @walt_sky んー言葉より前に現象があったということですよね。大地や石は、そう呼ばれる前にも存在し、たぶん大地や石だった。雨や蛙ではないですよね。言葉以前を言葉で考える限り、どこまでいってもやっぱり石は石に他ならない、となってしまいませんか?

2010-12-24 01:27:37
@walt_sky

たぶん、大地や石は分節化される前は、<世界>だったんじゃないかなあ。何かさっきから思いつきでつぶやいてるけど

2010-12-24 01:54:43
@walt_sky

「石」と口に出すときに一番問題なのは、骨格とか喉とかよくわからんけど、体格的なことがあるよね。で、それをクリアした後に、「いし」と発音されなければならない理由は、それまでにその人らが体験してきた中での「いし」概念が必要だ。概念とはその人の認識によって形作られるわけだが、認識のこと

2010-12-24 02:15:17
@walt_sky

を考えるとそもそも言葉が生まれる前には目に映るものはただ目に映っているもの、つまりたんなる<世界>であって、それと自我を分けるところからその分節ははじまっているのか。つまり実体としての石も、その人にとっては<世界>としてしか認識されなかったのでは?つまり石としての実存よりも認識の

2010-12-24 02:18:25
@walt_sky

問題なのか哲学用語が混じりはじめてやばいのだがおれはそもそも実存的に腹が減っている。この時間に。美味しいラーメンが食いたい

2010-12-24 02:19:10
サトクダマキモドキ @chrysalisys

@kiyoxsaito @walt_sky 言葉以前と以後を包括して考えると、あるときから「これを石と呼ぼう」という取り決め(=規則)が生まれたのであって、「石」という実体は存在しないのだと思います。

2010-12-24 06:44:19
サトクダマキモドキ @chrysalisys

つまり、言葉はあくまで概念を形成するためのものであり、実際にそこにあるもの(=実体)とは一致していないのだと。石という言葉をとっても、どの大きさからが石なのか、というのは人によってぶれが生じる。小さな石は砂との境界が曖昧で、大きな石は岩との境界が曖昧である。

2010-12-24 06:52:32
@kiyoxsaito

「目に映るものはただ目に映るもの」だったとこから、あ、と気が付いて、世界があって私があった。そう認識ということならば、石も大地も存在していたにもかかわらず、存在していなかった。「実際そこにあるもの」を「概念として形成するため」に、言葉で世界を構成=一致させていったということで、

2010-12-24 08:03:16
@kiyoxsaito

その意味においては、やはり、世界は言葉(ロゴスと言っていいのかな)でつくられていると言えませんか。

2010-12-24 08:10:31
@kiyoxsaito

でも、言葉がどこからやってきたのかという問いはわからない。これは問い自体がおかしいのかな。

2010-12-24 08:22:46
@walt_sky

そうそう、「石」という実体が存在しているかしていないかは別として、我々が「石」と呼んでいるものはわれわれが想起する「石」という概念を指してのものなんだよね。それが石である確証は実は何処にも無い。@chrysalisysの繰り返しになるけど「石」における実体と、概念の表徴である言葉

2010-12-24 11:02:44