スイス建築に関する一連のやりとり。
@yuk_it んー。別にそれはスイス建築ブームに限ったことではないと思います。東工大は、各国・各大学への、留学生の組織的な供給元なので、どのブームの時にも中心的な役割を担っています。AAの時もオランダの時もスイスの時もそう。そのずっと前からそうだと思う。
2010-12-25 13:16:08スイス建築に関しては、95年のMOMAでのライトコンストラクション展でHMやギゴンアンドゴヤーなどがフォーカスされ、ビライさんが参画した96年4月以降のa+uにより、日本でブレイクしたという流れが有ります。RT“@yoshihirohorii: なので、a+u の傾向は
2010-12-25 13:23:59HMは95年以前からテイトのコンペで国際メジャーに成りつつ有ったし、a+uで頻出する96年と同時期に貝島さんがETHに行ったりしてる。着火点というか、ブレイクの素地は出来てたんだと思う。95年頃、a+uやる前のビライさんが興奮してスイスの建築を語っていたのも印象的だった。
2010-12-25 14:06:11@SHHGN そうかも。その辺の順序は僕はゴッチャにしてるかも。貝島SDは、その辺りの空気をいち早く拾った結果かも。となると、火に油を注いだのはむしろ貝島さんの方で、着火したのがビライさん?そう言われてみたらそうかもしれません。発行年順では確かにそういうことになる。
2010-12-25 14:10:34ただスイス建築ブームに特徴的な点があるとしたら、オランダ建築ブームまでの頃と違い、はっきり言えば「何がいいのか非常に解りにくい」という点がある。解り易く目立ったキャラクターがあまり無い(つまり怪獣がいない)。なので、かじりついて「読み込ま」ないとそもそも魅力が見えて来ない。
2010-12-25 14:13:45こういう背景は人々をカルトに駆り立てる土壌になる。ジャック・ヘルツォークとかペーター・ツムトォーは、そういう地味なスイス建築の中では、怪獣な方です。オルジアティやケレツもわりと怪獣かも。でもオランダ産の怪獣より、見た目がずっと地味ですよね。硬そうではありますが。
2010-12-25 14:16:57当然だけど、ある日突然AAブームが消え去り、次の何とかブームにゴロッと入れ替わったり、というようなことが起きるはずも無いので、重複期間が必ずあり、その期間はなだらかにAからBへと移行していくワケです。で、さっきも書いた通り、必ずしも日本だけのローカル・ブームってワケでもない。
2010-12-25 14:22:43確かにスイス建築は分かりにくいと思います。貝島さんが戻って来ても、直接的にスイス建築的表現に走らなかったのは、建築が成り立つ社会性の違いに気付いていたからだと思います。研究室ではそんな話は余りしませんでしたが…“@yoshihirohorii:
2010-12-25 14:29:30@SHHGN ビライ研出身の方ですか?解りにくいと一体何が起こるかというと、見よう見まねの「スタイル」から入るようになるワケです。オランダ建築ブームの時も同じでしたが、スイス建築はより分かりにくかったため、スタイルへの傾倒も顕著だと思います。無粋な箱にポツ窓とか。変形家型とか。
2010-12-25 14:56:30@SHHGN 貝島さん達が即座にスイス風ボックスに走らなかったのは、彼等がもともと多種多様なリファレンスを持っているチームだったから、ということが理由の一つにあるような気がします。本人たちに聞いたことないんで、よくは知りませんが。
2010-12-25 14:58:12ビライ研の後、大学院で東工大の坂本研にいました。95年から01年頃が学生だったので、もろにオランダ、スイス建築ブームを体感してきましたwww“@yoshihirohorii: @SHHGN ビライ研出身の方ですか?
2010-12-25 15:05:09ですから、キクチさんだけで無く、もちろん堀井さんにも影響を受けた世代ですwwww“@yoshihirohorii: @SHHGN なるほどwwww ド・ストライクですねwwww。”
2010-12-25 15:11:23@SHHGN 僕の影響などは何も無いような気がしますが。。そう言われるからには何かあるのかもしれませんけど。。。まぁでも菊地君のカルト的な人気は絶大ですね。あれはまさにカルトだと思う。
2010-12-25 15:14:41僕はau後の生徒なのでここら辺の話は興味深いです。古山先生にはミニマム流行らせた責任取りなさいと言われてたとかなんとか。RT @SHHGN: HMは95年以前からテイトのコンペで国際メジャーに成りつつ有ったし、a+uで頻出する96年と同時期に貝島さんがETHに行ったりしてる。
2010-12-25 15:19:23当時、まだ学生でありながら、 あれ程影響が有った人も居ませんでしたね。スイス旅行の写真はみんなが見たはず。RT“@yoshihirohorii:
2010-12-25 15:25:32あの研究室世界につながってる感ハンパなかったですw 松ヶ崎にあるのに。RT @SHHGN: ビライさんがa+uやり始める頃は、まだ世の中に少なかったスイス建築の本が全て研究室に有ったと思う。半分位ドイツ語の本で、僕も先生も読めなかったがwww“@remgoto
2010-12-25 15:47:02