渡邊芳之先生ynabe39の「いまわれわれが持っている常識や良識だって別の時代の別の場所から見れば「常識からいって信じられない」ものなのだろう。」

現代の先進国の社会に暮らす人間には「常識からいって信じられない」ようなことでも、ある時代のある場所では常識であり良識であり自然な感情だった。
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渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之

渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html

 

渡邊芳之 @ynabe39

ある時代のアメリカでは白人と黒人は別のバスに乗るのが常識だったし良識だったし庶民感覚だったし自然な感情だった。常識だの良識だのというのはもともとそういうものである。

2015-05-27 04:02:47
渡邊芳之 @ynabe39

現代の先進国の社会に暮らす人間には「常識からいって信じられない」ようなことでも、ある時代のある場所では常識であり良識であり自然な感情だった。いまわれわれが持っている常識や良識だって別の時代の別の場所から見れば「常識からいって信じられない」ものなのだろう。

2015-05-27 04:07:14
渡邊芳之 @ynabe39

近代以前のヨーロッパ支配階級にとっては「人間」とは欧州人成人男性だけを意味していて、女性や子どもは「人間」ではなかったし、異教徒や異人種も「人間」ではなかった。それもその時代には常識であり良識であり自然な感情だった。

2015-05-27 04:12:20
渡邊芳之 @ynabe39

それが近代に入ると「人間の範囲」が徐々に拡大していき、女性や子どもも人間になり、病人や障害者も人間になり、異教徒や異民族も人間になっていく。そして「みんな人間である」というのが常識になり良識になり自然な感情になっていく。

2015-05-27 04:17:51
渡邊芳之 @ynabe39

いま「大型類人猿は人間として扱え」という主張を聞いて多くの人は「常識的に受け入れられない」「自然な感情として理解できない」と感じるが、おそらく近世のヨーロッパの人々も「女も人間として扱え」「子どもも人間として扱え」というのに常識や良識や自然な感情から反発したのだろうと思う。

2015-05-27 04:21:08
渡邊芳之 @ynabe39

「それが常識だから」「良識から言って」「自然な感情にしたがって」などを根拠に言われることというのはそういうことなのである。

2015-05-27 04:28:03