tricken氏のtsudaる問題についての一連ツイート
「tsudaる」は、まだTwitterを「報道ツール」として活用可能なことが認識されていなかった時期に、津田大介さんがMIAUやその他の行政問題についてのカンファレンスに出席して、140字要約を現場から発信することから徐々に認知され始めた「他称」であって、「実況中継」ではない。
2010-12-28 22:28:17「tsudaる」は「Twitter実況中継」ではなく、「Twitterを利用した報道・ジャーナリズム活動」であるということは、以前「tsudaる定義」と題して書いたことがある:http://tsuda.tumblr.com/post/125774703/tricken-tsuda
2010-12-28 22:29:59〔承前〕ここで先の「tsudaる定義」のページの補足を読んで欲しいのだが、「カンファレンスに出席する」そのカンファレンスの、報道の見地から観たその情報発信の価値の有り無しについて論じなければ、そもそも「tsudaる」を論じる意味はない、という意見は以前から変わらない。
2010-12-28 22:32:35じゃあ津田大介さんがあらゆるカンファレンスで出席して「tsudaる(=Twitter報道)」ををしているかといえばそんなことはない。どうしても個人の限界がある。だから2009年の前期の段階で「固有名が外れるといいな」というような話は度々していたわけだ。
2010-12-28 22:34:42しかし「tsudaる」という流行語が保存されたまま、今度は「tsudaる」自体を問題視し始めるという産経新聞のコラムのような流れが出てくるのは、単に意味を理解する/しないよりさらに基底部にある、「Twitter報道の可能性」というものについての考えの相違があるのではないか。
2010-12-28 22:36:53謬見をどう扱うか、という時に、新興の言論システムを叩くというのは、それこそ「ゲーム脳」とまったく同じ謬見だと思う。謬見が謬見であるというだけで何らかの影響力を持つというのなら、各々都合のいいように嘘を並べれば済む世の中であり、そんな陳腐な意味での政治しかない世界に住みたくはない。
2010-12-28 22:41:41報道する主体が個人アカウントであるか組織アカウントであるかというのは、少なくともあまり意味がない。どちらも過去に読み手から与えられた判断の蓄積によって「信頼」なるものが担保されているように見えるだけで、それは「続けること」によってしか得られないもの。権威は実体的ではありえない。
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