絶叫する大風車グバンネルへの苦情その3【短編】
海鳴りの音が聞こえない。こんなにも広い大洋を目の前にしているのに。原因は誰でもわかる。絶叫だ。海鳴りの音をかき消すほどの、低く、腹の奥まで響き渡る絶叫が辺りを支配しているのだ。マルガンは岬を見上げた。崖の上には巨大な風車がある。絶叫は、そこから発せられていた。 1
2015-07-09 16:24:56この岬は帝都から東へ3日ほど進んだ場所にある、寒く、草木の育たない、ツンドラの広がる半島にあった。風車は真っ白で汚れ一つ無い。崖下には角砂糖のような白いブロック状の施設が無造作に積み上がっているように見える。発電施設だ。この風車で周辺の辺境地区の電力を賄っている。 2
2015-07-09 16:27:41今回発電所に寄せられた苦情は、この絶叫の騒音を何とかしてほしいというものであった。周辺に民家は無いが、遠く離れた村までこの絶叫は聞こえるのだ。「お客様相談センター」の相談員であるマルガンは頭を悩ませていた。構造上、どうしても絶叫は発生する。風車は生きているのだ。 3
2015-07-09 16:32:34絶叫に聞こえるのは、風車の生命金属が発する呼吸音だ。特殊な機構で設計してあるため、ありふれた生命金属とは違った挙動をする。まさか、風車を止めるわけにもいかない。帝都には別の発電手段があるが、それは秘密の技術でありこんな辺境に持ち出すことはできなかった。 4
2015-07-09 16:35:46「困ったなぁ……」 マルガンは相談センターにいた。今日も苦情が来たのだ。一体どういうことかと。何故対策が進んでいないのかと。高い税金を払っている云々。風車発電の研究員に電話するのも嫌になった。彼も困っている。「お困りですか?」 突然の声。顔を上げるマルガン。 5
2015-07-09 16:39:46相談センターの受付カウンターから身を乗り出してマルガンを見下ろしている女が一人。ピエロのようなとんがり帽子を被っている。服装もやはり道化師のような装飾豊かな衣装だ。コルセットで縛っているのか、腰は異様に細かった。「お困りみたいですね」 「どなた……ですか?」 6
2015-07-09 16:42:35「わたくし、こういうものです」 そう言って名刺を手渡す。「機械なだめ師のメリベラさん……ですか」 機械なだめ師等という職業は聞いたこともない。疑問を口にするより速く、メリベラはセールストークを開始した。「機械にお困りのとき、機械なだめ師は必ずや力になるでしょう!」 7
2015-07-09 16:45:58「機械なだめ師は、その名の通り機械のご機嫌を取ることができます! 調子が悪くなった機械はありませんか? それは機嫌が悪いのです! それをなだめて、より良く動作させることが我々機械なだめ師の仕事です」 「それって本当なの?」 マルガンは半信半疑だ。 8
2015-07-09 16:48:21「風車の絶叫を止めてみせましょうか?」 「できるのか……?」 「やってみせれば信じるでしょう。お代はそれからでも構いません!」 マルガンはいまだに信じられなかった。「机の上に契約書がありますよね。サインするだけです」 はっとして机の上を見る。いつの間にか契約書があった。 9
2015-07-09 16:51:31(間違いない……魔法使いだ) マルガンは戦慄した。魔法は恐ろしい力であり、それは法律によって保護されている。マルガンのような一般市民はなすすべなく魔法の実験台になるか、戯れに殺されても文句は言えない。(契約しないと……何されるかわからない) 恐る恐るサインをする。 10
2015-07-09 16:55:53サインするや否や、メリベラは腕を伸ばしてカウンター越しにマルガンの手首を掴む。そして彼をまるで布切れでも掴んでいるように軽々と引っ張って外へと駆け出した。風が吹き抜けるように風車の下へと向かった。恐ろしい絶叫は相変わらず響いている。これが止むというのか? 11
2015-07-09 16:58:45メリベラはマルガンを放り投げて、大声をあげた。風車に向かって話しかける。「なぁ、風車さん。どうか、叫び声をやめてくれないか?」 反応は無い。メリベラは続ける。「風車さんの声はとっても素敵なんだよ。ただ、そんな声を出していたら魅力がちっとも伝わらないよ!」 12
2015-07-09 17:02:55「歌を教えてあげるよ。こうやって声を出すと、みんな喜ぶんだ。声の魅力がすっごくよく伝わるんだ!」 そう言ってメリベラは朗々とした声で歌い始めた。するとどうだろう! 不愉快な絶叫が、次第に美しい歌声へと変わっていったのだ! ついには、耳を震わせる壮大な歌声に変わっていた。 13
2015-07-09 17:07:20「すごい……すご……あれ? メリベラさん?」 すでに、メリベラの姿は無かった。狐につままれたような顔をして相談センターに帰る。すると、カウンターに一枚の請求書が置いてあった。それで全てが終わった。心配していた魔法の実験だとか、生贄等は無かった。 14
2015-07-09 17:50:07請求書の額面を見る。契約書に書いてあったものと同じだ。当たり前だが。おかしい。何かがおかしい。魔法使いがこんな普通の仕事をするはずがない。「……転職しよう」 そうだ、転職だ。何か起こってからでは遅いのだ。魔法使いが善意で動くなど稀だった。脱出せねばなるまい。 15
2015-07-09 17:52:571年後、無事転職できたマルガンは平穏な生活を送っていた。待遇は変わらないが、クレームを聞く必要がない仕事だったのでいくらか気が楽だった。風の噂で風車のその後を聞くことができた。恐れていたことが起こってしまったようだ。「転職したのは正解だったな」 16
2015-07-09 17:56:25聞く所によると、美しい歌声を響かせていたのは短い間だけであったらしい。美しい歌声と言えど、騒音は騒音。すぐ相談センターに苦情が入り、デモまで起きてしまった。それを目にしたのか耳にしたのか分からない。ある日、風車が喋ったのだ。 17
2015-07-09 17:59:58それ以来、延々恨み節が遠くまで、日夜聞こえるようになってしまったというのだ。魔法使いのメリベラはこの顛末さえ考えていたのだろうか。市民をからかい、戯れにもてあそぶ魔法使い。「やはり転職してよかったな」 19
2015-07-09 18:06:14いつ魔法使いが現れるか分からないが、きっとろくなことにならないだろう。その日が来ないことを……マルガンは祈ったのだった。 20
2015-07-09 18:08:04