全知ゆえに知ることもある彼のささやかな業績【短編】

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――全知ゆえに知ることもある彼のささやかな業績

2015-07-11 17:30:47
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研究室の電球がチカチカと点滅する。電力の供給が不安定なのだ。だから電化製品なんて当てにならない。バルザクはペンを置いた。もはやいま電球が切れようとも構わない。彼の研究は最初の難関を越えた。ようやく製品化できそうな新薬が完成したのだ。心地よい達成感。 1

2015-07-11 17:33:51
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バルザクの作った新薬は、いわゆる毛生え薬だ。そんなもの魔法で何とでもなるが、魔法が使えなければどうしようもない不治の病だった。そして魔法も使えない一般市民は、魔法使いに「お願い」することさえできない。殺されるか弄ばれるのがオチだ。一般市民の夢は科学が叶える。 2

2015-07-11 17:37:54
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人類帝国の科学は巨大ギルドであるルーデベルメ工廠によって独占されていた。彼らは市民の味方の振りをして役にも立たないガラクタを発明し、売り付けて、富を吸い上げる。バルザクはルーデベルメの研究者の一人であるから、その肩棒を担いでいることになる。後ろめたさはあった。 3

2015-07-11 17:41:44
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バルザクは管弦楽の流れるラジオを叩いた。さっきからの電力不安定でまともに曲を流してはくれない。そもそもボーナスの代わりに現物支給された高価な機械であったが、バルザクの偉大な達成に際してノイズを撒き散らすくらいしか存在感を放ってはいなかった。ラジオの電源を切る。 4

2015-07-11 17:45:22
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静寂。真にひとの役に立った者に賛美歌などいらない。ただ静寂があればいい。バルザクはそう思った。実際新薬は画期的な効能だった。十中八九はがらくたのルーデベルメ製品の中でも、少なくともノイズを撒き散らすラジオよりも確実に役に立つだろう。喜ぶ市民の顔が目に浮かぶ。 5

2015-07-11 17:48:14
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静寂の勝利はいつまでも続かなかった。不愉快な笑い声。上司だ。酒に酔っているようだ。研究室の扉を半分開けて半身をこちらに出しているのに、まだ役員と下品な会話を続けている。バルザクは耳を塞ぎたかったがそんな真似を堂々とすることはできない。これならラジオのノイズの方がましだ。 6

2015-07-11 17:51:42
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「バルザク君! 新薬は完成したかね!? アレは従来のオカルトに足を突っ込んだ育毛剤から一線を画す商品になるだろう」 「はい、完成しましたが……臨床試験の結果がまとまりました。効能は確実に現れます」 「よろしい! プレゼンの資料は私が作製する。君は休んでくれたまえ」 7

2015-07-11 17:55:29
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資料を乱暴に奪い取り、平手でバンバンとバルザクの肩を叩く。プレゼン資料を作ってくれるなんて怪しい。だが、バルザクは膨大なデータと格闘したばかりで疲れていた。「お言葉に甘えて……」 バルザクはあくびをかみ殺して、鞄を手に研究室を後にした。一刻も早く上司から離れたい。 8

2015-07-11 17:59:33
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宿舎に帰ったバルザクは、お気に入りの猫の付箋を一枚使ってメモを書いた。この猫の付箋は特に気に入ったアイディアをメモする専用の付箋だ。まだ見ぬ新薬の商品名の案を書いて、その晩はベッドに沈んだ。夢の中で、彼は自分の商品が薬局に並んでいるのを見ていた。 9

2015-07-11 18:05:54
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後日、バルザクは残酷な運命を知る。上司は得意顔でプレゼンを行い、賞賛と賛辞を一身に受けていた。新薬の開発者にバルザクの名前が無かったのだ。代わりにいちばん大きく、目立つ場所に上司の名前がでかでかと書いてあった。いやらしい目のアイコンタクト。バルザクは何も言えなかった。 10

2015-07-11 18:13:36
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「バルザク君。これは私なりの優しさなのだよ。君はまだ若く、未熟だ。早々と表舞台に立ってもろくなことにならない。まだ下積みの時間だ。そう落ち込むな。来週、新薬の商品名を決めるために、帝都のいちばん偉い学者様を一緒に尋ねよう。こういうのは、学のある者に頼まねばな!」 11

2015-07-11 18:22:02
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その晩、宿舎に帰ったバルザクは先日書いた猫の付箋を、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。 12

2015-07-11 18:40:22
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次の週、バルザクは気慣れぬスーツ姿で帝国図書館にいた。上司と共に、帝都のいちばん偉い学者を尋ねたのだ。その学者は図書館でいつも本を読んでおり、彼専用の書斎と応接室を帝国図書館に構えることを許されていた。応接室に通され、ソファに座って例の学者を待つ。 13

2015-07-11 18:49:08
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誰かが入ってくる。以外にもそれは、12歳くらいの少年だった。理知的な瞳が好奇心で輝いているのが分かる。髪はサラサラしていて、肩まで伸びている。子供らしく、半ズボンが似合っていた。大人でも殴り殺せそうな分厚い本を抱えている。少年はにこりと笑ってバルザクを見た。 14

2015-07-11 18:56:00
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バルザクは立ち上がって一礼した。明らかに老成したたたずまいをしているのだ。ただものではあるまい。上司は何も感づいていないようで、偉そうに座っていた。「こんにちは。僕がオメガです」 オメガ。帝都最高の知能と呼ばれる学者の名前である。上司は慌てて立ち上がった。 15

2015-07-11 19:36:00
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「楽にしていいです。ルーデベルメからの依頼でしたね。ごめんなさい。僕は一般には秘匿の存在なので、名刺の交換は略させていただきます」 オメガはとことこと歩き、向かいのソファに座った。バルザクと上司も着席する。本題を切りだす前に、オメガは話し始めた。 16

2015-07-11 19:43:48
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「新薬の名前でしたね。考えておきましたよ。一般に流通する商品ですからね。難しい知識もいらないでしょう。直感的で、語感の良いものを考えてきました」 オメガは全知だという。オメガの知らない知識は無いという。そう聞いていた。オメガは一瞬バルザクの目を見た。 17

2015-07-11 19:48:45
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「こんなのはどうでしょう。『ケガハエールA軟膏』です」 バルザクはショックで身体が震えたのを感じた。聞き間違いであろうか。オメガは半紙を差し出す。そこには確かに、ケガハエールA軟膏と書いてある。そこまで見ても、バルザクは幻覚とさえ思った。オメガはまたちらりとバルザクを見る。 18

2015-07-11 19:56:13
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そしてオメガは半紙を畳み、封筒に入れた。上司が興奮した様子で褒めたたえる。「いやぁ! 素晴らしいネーミングセンスですな! まさに分かりやすく、直球の勢いがありますな! ガハハハハ!!」 「じゃ、僕はこれで……」 オメガはあっさりと席を立ち、そのまま部屋の外へ消えていった。 19

2015-07-11 20:02:49
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帰り道、上司が車の中でバルザクに話しかけていた。「全く、バルザク君。君もあの学者を見習えよ。精進あるのみだ。辛い境遇に耐えて、耐えて、耐え抜いて、あの学者のように一筆で社会を動かせるような存在になるのだぞ!」 上司の御高説は全く耳に入っていなかった。 20

2015-07-11 20:07:29
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(僕を見ていてくれているひとがいる……僕のやり遂げたものを、見届けてくれていたひとがいるんだ……無駄に終わったわけじゃないんだ。いまはそれで十分だ。それを知れただけでも、十分だ……) 21

2015-07-11 20:20:27
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宿舎に帰ったバルザクは、ゴミ箱からその証拠を探した。くしゃくしゃに丸まった猫の付箋。それを広げる。そこには確かに、バルザクの字で「ケガハエールA軟膏」と書いてあったのだ。 22

2015-07-11 20:24:29
減衰世界 @decay_world

――全知ゆえに知ることもある彼のささやかな業績 (了)

2015-07-11 20:24:45