- kentarotakahash
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ここしばらくの議論は、なんとなく熟議的な民主主義観と闘技的な民主主義観とがぶつかっているという感じがしなくもない。
2015-07-31 16:05:49(承前)思うから。また、議論の多様性そのものが重要であり、もし満場一致が起こったら、敢えてでも異論を唱えてみよ、という(闘技的)デモクラシーの伝統が重要だと思うから。また、2)今回は安部政権が10本ひとまとめに強行するという手法をとったから反対運動もマス・マジョリティの(続)
2015-08-02 10:44:42このなかで春日氏が、満場一致にあえて異論をはさむのが闘技的デモクラシーといってますが、これ全く間違い。闘技的デモクラシーとは社会に潜在する矛盾を政治的な敵対性に可視化することを意味する、つまりしばき隊がやったことです。適当ぬかすな。 twitter.com/kentarotakahas…
2015-08-06 09:57:56あまりに長過ぎるので、とりあえず、読むためのまとめ。僕も読むのはこれからです →「春日匠さんと野間易通さんの二日間に及ぶ議論」をトゥギャりました。 togetter.com/li/857126
2015-08-06 08:03:27ということは、しばき隊やシールズに潜在する矛盾を政治的な敵対性に可視化することも闘技的デモクラシーですよね。 twitter.com/sangituyama/st…
2015-08-06 10:03:52『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序』amazon.co.jp/gp/product/475… これか。「政治的な敵対性」を肯定的に捉える、と。 @sangituyama
2015-08-06 10:12:05そのためには、sivadさんがしばき隊やシールズの敵であることを宣言しなければいけませんね。 twitter.com/sivad/status/6…
2015-08-06 10:24:08@kentarotakahash シュミットではなくムフのいうところの「友/敵」「われわれ/彼ら」の流動的な可能性は、誰に対してもオープンでしょう。 hidarisenkai.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/p…
2015-08-06 10:41:04対象はオープンで良いでしょうが、いずれにせよ、siavdさんが「我々/彼ら」をはっきりさせねば、「敵対性の可視化」はできません。 twitter.com/sivad/status/6…
2015-08-06 10:49:33それでは"政治的"敵対性にはならないでしょう。 QT @sivad @kentarotakahash そうですか?ご覧になっている方に問題点や対立点がわかれば十分ですよ。
2015-08-06 10:56:43@kentarotakahash それは受け取り方次第でしょうね。ただ実際のところ、一部の論点を批判するだけでも「敵」と受け取ってしまう人は少なくないのでは。
2015-08-06 11:08:28あ~ むずかしい言葉で言われれてもわからん.... ノラ猫の専門家糾弾は闘技的デモクラシーであるらしいことはわかったw
2015-08-06 11:45:49前の議論もそうでしたが、それぞれの感じ方、受け取り方、みたいなところで収束なら、敵対性には至りませんね。QT @sivad @kentarotakahash それは受け取り方次第でしょうね。ただ実際のところ、一部の論点を批判するだけでも「敵」と受け取ってしまう人は少なくないのでは
2015-08-06 12:11:19@kentarotakahash であれば、高橋さんにとっては敵ではないのでしょう。他の方にとってどうかはわかりません。たとえばこちらの方には敵対的にみえるようですし。 twitter.com/MasahiroKitano…
2015-08-06 12:19:55@kentarotakahash 参加者は純粋だけれど主宰者は自民党のシナリオに従って動いているってことでしょう。 その意味では主観的には同志的批判だったご飯の人よりも強く敵対的な批判をされている。 twitter.com/sivad/status/6…
2015-08-04 02:23:22それはsivadさんが決めればいいのです。QT @sivad @kentarotakahash であれば、高橋さんにとっては敵ではないのでしょう。他の方にとってどうかはわかりません。たとえばこちらの方には敵対的にみえるようですし。 twitter.com/MasahiroKitano…
2015-08-06 12:22:49が、「しばき隊やシールズに潜在する矛盾を政治的な敵対性に可視化する」と言ってはみたものの、では、「しばき隊やシールズの敵」となることを宣言するんですね?と問われると、感じ方はそれぞれ、みたいなところに戻っていく訳ですよね。 @sivad
2015-08-06 12:26:22@kentarotakahash 個々の論点についての対立についてはそれぞれのケースで述べています。それを政治的にどう受け取るかはその人の政治性によりますので、私が決定することではありません。
2015-08-06 12:28:16相手の受け取り方に任せるということは、つまり、sivadさんには政治的敵対性を明確化する(闘技的デモクラシー的)態度はないということですね。「しばき隊やシールズに潜在する矛盾を政治的な敵対性に可視化することも闘技的デモクラシー」は一般論だと。まあ、それならそれで。 @sivad
2015-08-06 12:32:59@kentarotakahash 相手の受け取り方まではコントロールできませんから、その意味では完璧にふるまうことはできませんね。ただし政治的敵対性を見いだす人がいるであろう批判はするでしょうね。
2015-08-06 12:39:32他者の反応を制御できないのは自明です。焦点はsivadさんが政治的敵対性を明確化する意志があるかかどうかです。まあ、その意思もないのに「しばき隊やシールズに潜在する矛盾を政治的な敵対性に可視化する」と言ってみたということですね。 @sivad
2015-08-06 12:45:25@kentarotakahash 「政治的敵対性とみられうる対立点を明確化する意志」はありますよ。ただそれは受け取り手によって「政治的敵対性を明確化」であったり、妥当な批判であったりするだろう、ということですね。あらかじめ相手の受け取り方まで決定しないということです。
2015-08-06 12:52:57@sivad 「あらかじめ相手の受け取り方まで決定しない」は、そもそも出来ないことなのですから、無意味な言説です。
2015-08-06 13:06:51@sivad カウンターや「指さし」は、自らが敵の敵であることを明確化することです。そのような「闘技的デモクラシー」に向かう態度は、sivadさんにはないことが分かりましたので、それで良いです。
2015-08-06 13:08:06@kentarotakahash いや、それはシュミット的な「友/敵」であって、ムフのいうような闘技的デモクラシーではないでしょう。ムフ的な「われわれ/彼ら」は可能性としての区別であって、常に流動的なものです。 >カウンターや「指さし」は、自らが敵の敵であることを明確化
2015-08-06 13:16:00