【年賀状27】 Twitterは、しかし、ある種の人間の微分化によって属人性を拒否しているのではありません。むしろ属人度を、ミクシィ(MIXI)やFacebookよりも高めているのです。
2011-01-06 02:55:54【年賀状29】 しかもそれは、趣味や専門性や社会性という丸められた接点ではなくて、〈現在〉に定位している。〈現在〉というのは、〈身体〉=〈行為〉の場処でもある。それは、ウソが一番少ない単位なわけです。
2011-01-06 02:56:07【年賀状30】 1日や一ヶ月をまとめて記述すれば、ウソはあるかも知れない。あるいは学者の長い論文も、数々の剽窃の結果でもある。長い時間は、〈テーマ〉を形成してしまうため、書き手のウソ意識と関係なく、個々の出来事の記述は丸まってしまうわけです。それが〈反省〉という形式です。
2011-01-06 02:56:21【年賀状31】しかし、「いまどうしてる?」という問い-応答には、長い時間の記述にみられる信憑性評価ほどの神経質な対応は求められることはない。それは〈現在〉が等しく人間に共有されているため、時間が検証装置そのものになっているためです。
2011-01-06 02:56:34【年賀状32】 「いまどうしてる?」ということについて、嘘などついてもしようがない。次にいまと違う何をしてもいいのと同じように、「いま」はそれ自身を裏切るからです。「いま」は過ぎ去ることによって、それ自身が否定にさらされているために、わざわざ嘘をつく必要がない。
2011-01-06 02:20:29【年賀状33】 「わざわざ嘘をつく必要がない」というのは、「いま」という時間だけが情報の信頼性の基盤だからです。「いまどうしてる?」と聞かれて答えるのだから、その場に居合わせないとすぐに陳腐になってしまうような応答の連続がツイートだと言える。
2011-01-06 02:20:31【年賀状34】 時間に影響されない格言めいたことをツイートしたとしても、それは、その時の(いまの)気分でそう思っただけのこと。長い瞑想の結果の“格言”ではないわけです。ただ、その時そう思った(=「いま」そう思った)という点ではいつも“正しい”。
2011-01-06 02:08:08【年賀状35】 そんな気まぐれなツイートになぜ人々が価値を認めるのか。それは、〈現在〉というのが同時に、出力(発信)したり、受容(受信)したりする人間の身体の同伴を伴っているからです。
2011-01-06 02:20:39【年賀状36】Facebookのような警察の身上調書のように情報を囲まなくても、ツイートは丸められた内容よりも時間を刻んでいる。時間を刻むということは、行動=身体の位置を刻んでいるのと同じ。これほど信憑性のある身上調書はない。
2011-01-06 08:19:12【年賀状38】 「ばか」とか「アホ」といった感情的な言葉の応酬が生じがちなのも、入出力に時間差が生じるメディアではなかなかありえない。時間差はそのまま冷静を要求する。というよりも、「冷静」とは、入出力の間に時間を貯めることなのです。
2011-01-06 03:00:08【年賀状39】 感情的か、理性的かは、あれこれの人間の素性の問題ではなく、時間性に属する問題であって、入出力の時間差=反省の時間性(反省の時間化度)であったわけです。
2011-01-06 02:28:25【年賀状40】 入出力の時間差度はそのまま専門性の度と相関します。「大学教授」などと言われる人ほど、仕込んだネタを長い時間にわたって精査し、時には何十年にもわたって精査し、最後に〈論文〉として出力する。その滞留がタイムラインにはない。
2011-01-06 02:33:09