12世紀から17世紀にかけてブータンは仏教諸派乱立の時代を迎え、勢力拡大競争に伴う混乱が生じた。この時期のブータンは各地方ごとに仏教勢力が入り乱れ、中央統一政権は存在していなかった。
2011-01-06 14:25:1117世紀にチベットを脱出したチベット仏教ドゥク・カギュ派の高僧シャブドゥン・ガワン・ナムギャルがガロップ族を率いて仏教をもたらし、現在の国土(東部がシャーチョップ族、西部がガロップ族、南部がネパール族の土地となっている。ネパール族の多くは20世紀の初めに移住した)をまとめた。
2011-01-06 14:29:211864年、英・ブータン(ドゥアール戦争)勃発。1865年、戦争に敗北し、英との間にシンチュラ条約を結ぶ。英は領土占領と引き換えにブータンに年5万ルピーを補償金として支払うことになった。ブータンはアッサム、ベンガル、ドゥアールの7.122平方キロメートルにおよぶ全領土を喪失した。
2011-01-06 14:58:341907年、ワンチュク家(現王朝)が支配権を確立する。12月17日、ウゲン・ワンチュクが初代世襲制国王に選出される。ブータン王国となる。1910年、プナカ条約締結。1949年までイギリスの保護下に入る。
2011-01-06 15:01:321947年、インド・ニューデリーで行われたアジア関係諸国会議(Asian Relations Coference)に参加。1949年、インド・ブータン条約調印。1971年、国際連合に加盟する。128番目の加盟国として国連への参加を認められた。
2011-01-06 15:04:561985年、南アジア地域協力連合(SAARC)に参加。1990年、反政府運動激化。南部居住のネパール系住民が国外に脱出し難民化する(ブータン難民)。2005年、ワンチュク国王、2008年の譲位と総選挙後の立憲君主制移行を表明。
2011-01-06 15:07:372008年3月、普通選挙による国民議会(下院)選挙を実施。4月、初の民選首相としてジグメ・ティンレーが選任される。7月18日、新憲法が公布される。
2011-01-06 15:10:41印とは英領印時代「内政は不干渉、外交には助言を与える」という文言が存在し、1949年印・ブータン条約にその文言が継承され、2007年3月の条約改定より外交への助言についての文言が「相互協力関係の維持及び拡大」を謳うものに差し替えられるなど、現状に合わせた新たな規定が盛り込まれる。
2011-01-06 15:20:12中とは北部国境策定で対立があったが、1988年に合意するに至った。しかし、2000年代に入り、ブータン領域内において中国が道路建設を行い、軍及び民間人の越境行為が行われたことから、ブータン政府が抗議を行っている。
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