《私は「葬列デモ」に賛成していません。ある「映像作家」の描く虚偽にあきれていただけです》

自己ツイートをまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月。原発事故の影響の再評価によって、年20ミリシーベルトの被曝がある地域として、「計画的避難区域」が政府によって設定された。その地域は、事故原発から20キロを超える場所であるが、空間線量測定でも土壌汚染の測定でも、避難指示地域と同じかそれ以上の汚染が確認されていた。

2015-09-20 14:12:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

計画的避難区域については、首相官邸HPの過去の記事を確認してほしい。 2011年4月15日 kantei.go.jp/saigai/faq/201… 2011年4月22日 kantei.go.jp/saigai/2011041… @karitoshi2011

2015-09-20 14:23:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この計画的避難区域の設定によって、自治体全部が新たに避難指示を受けたのは、 相馬郡飯舘村と、双葉郡葛尾村だった。 が、葛尾村は早期に、村として全村避難を決断していて、この計画的避難区域の認定については、日本政府が自治体判断を追認する形だった。 @karitoshi2011

2015-09-20 14:26:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

他方、飯舘村では、2011年3月11日から3月末まで、村の外、特に沿岸部から、地震・津波・原発事故によって避難してきた村の外の住民を受け入れ、避難者支援をしてきた自治体だった。自治体役場も首長も、全村避難など考えたくなかったようだ。 @karitoshi2011

2015-09-20 14:30:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そうは言っても、2011年3月のうちに避難希望者の為にバスを準備して村外に避難させるなどしていたので、むりやり村内に住民を閉じ込めるというほどでもなかったようだ。 しかし何より、飯舘村は中通りと浜通りとをつなぐ「復興」作業の重要な通過点だった。 @karitoshi2011

2015-09-20 14:34:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

飯舘村の汚染が深刻なのは、簡易水道水から放射性ヨウ素が3月20日に965Bg/kg検出されるなど、他の地域の数字よりも相当高い事から、分かっていた。 (参照)復興ポータルサイト pref.fukushima.lg.jp/site/portal/25… @karitoshi2011

2015-09-20 15:09:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

当時私は、飯舘村に隣接する地域に住んでいて、飯舘村には頻繁に行き来していた。 飯舘村からの簡易水道を使っていた私の住居がある地区でも、水道水を乳児のミルクに使うことは制限された。 mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9… @karitoshi2011

2015-09-20 15:22:27
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

水道水から、放射性ヨウ素が検出され、空間線量も高い。 私は「飯舘村はできるだけ早く全村避難した方が良いだろう」と考えていた。 (参考)20㎞~50㎞圏付近環境放射能測定結果(暫定値) pref.fukushima.lg.jp/sec_file/monit… @karitoshi2011

2015-09-20 15:40:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、飯舘村は福島県中通りから、浜通りの事故原発よりも北側の地域に行くためにはどうしても通過できるように確保しておきたい道路が貫いている場所だった。 また、村側としては、何が何でも、村に帰ってくるための橋頭保を残しておきたかった。 @karitoshi2011

2015-09-20 15:43:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その為、計画的避難区域を設定すると知らされた2011年4月15日から、具体的な区域の正式決定間までの間に、奇妙ともいえる付加事項が加わった状態で飯舘村には、「全村避難」指示が出された。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:03:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

飯舘村の住民は、他の計画的避難区域の住民同様、概ね1カ月を目安に村から避難する。ただし、様々な条件が整うまでは、猶予するので、1カ月以上かかるのもやむを得ない。また、村内の施設介護の高齢者はそのまま、村の高齢者福祉施設に残す。一部の工場も残す。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:15:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月22日に決定した、飯舘村の「全村避難」では、一部の施設や事業所の営業継続が認められたのだ。これは、他の計画的避難区域にはなかった。村民はいつでも特に許可を得ずに自宅の様子を見に来ることが許された。宿泊さえしなければ、出入り自由だった。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:19:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

立ち入りが自由なのは、村民だけではなかった。特に許可を取らずに、誰でも、公道を通って、飯舘村に入ったり通過したりすることができた。最高で150μSv/hを記録したことがある場所でも、自由に入り、写真を撮影することができた。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:22:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

飯舘村は、夜間であっても無人ではなかった。高齢者福祉施設に、入所者が生活し、その当直職員も夜間滞在を許可されたからだ。 つまり、飯舘村が「無人」になることはなかったのだ。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:24:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月22日以後、避難指示が出ている地域に入ることは、非常に困難になった。その例外が、飯舘村だった。報道にせよ、創作にせよ、そして捜索にせよ、自由に出入りできる警戒区域は、飯舘村だけになっていた。(その後、避難指示の見直しがなされている) @karitoshi2011

2015-09-20 16:30:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そこに、1人の「映像作家」が参入してくる。 藤原敏史という人物が、撮影のためにやってきて、一本の映画を作った。それが『無人地帯』という映画だ。 (参照) 映画『無人地帯』予告編 藤原敏史 youtube.com/watch?v=s24iv7… @karitoshi2011

2015-09-20 16:33:40
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

藤原敏史氏は、ツイッター上で「飯舘村は立ち入り禁止の無人地帯だ」と、これまで私が説明してきた事実とは全く異なる説明をしていた。私は、事実とは異なる表現をし、ネット上では様々な迷惑行為を続ける藤原氏に反論した。すると、藤原氏は、私を嘘つき扱いした。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:39:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

藤原敏史は、私以外にも相当な迷惑行為を繰り返していた。 被害者の記録の一例をご覧いただきたい。 参照) 声明文 私達は映画『無人地帯』を批判します。 藤原敏史氏と映画『無人地帯』の問題点を考える会 blog.goo.ne.jp/fujiwaradaikan… @karitoshi2011

2015-09-20 16:40:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ところが、ここで奇妙な現象が発生したのだ。 「福島は危険な場所ではない」「原発事故の健康影響を語る連中は、放射線のことを知らないデマをばらまく人たちだ」と主張する人びとが、藤原氏の擁護に回り、私をネット上で罵倒したのだ。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:44:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

飯舘村が「無人地帯」になったという事実はない。 しかし、藤原氏は自説を撤回せず、私の周囲の人にもネット上で粘着を続けた。 「原発事故で避難指示が出ている地域以外では、事故の影響を心配するのは科学的に間違い」と主張する人々が藤原氏を擁護する。 @karitoshi2011

2015-09-20 16:48:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この状況に混乱した私は、不覚にも、不用意なツイートを一つ、行ってしまったのだ。 「『藤原敏史氏の映画が事実である』と証明できるのなら、葬列デモとかいうものを賛成しても良いくらいに、藤原氏の映画は虚偽である」という趣旨のツイートだ。 @karitoshi2011

2015-09-20 17:19:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

正直、私は「葬列デモ」と呼ばれるものが、いつ、どこで行われた、どのような形態のデモか、今でもわからない。 しかし、私の不用意なツイート一つが、想像もしなかった影響を広げている。(現在も続いている)。 「信夫山のネコ」を名乗るブログに付けこまれたのだ @karitoshi2011

2015-09-20 17:25:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

信夫山のネコのブログは、 私のツイートの趣旨を無視し、前後関係も切り取って、「宍戸俊則は葬列デモに賛成している」と書き込んだのだ。 それからは私の名前を書く時には「葬列デモに賛成した宍戸俊則」と書き続けた。 私の個人情報をも暴きながら、だ。 @karitoshi2011

2015-09-20 17:31:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

(訂正) 私は思いがけない個人攻撃に困惑した。 当時の私は楽天ブログとツイッターしか使いこなすことができず、有効な反論を行うことができなかった。 もっと恐ろしかったのは、信夫山のネコが、妻までも攻撃の対象にしてきたことだった。妻と私を同一存在に扱って。

2015-09-20 18:34:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私や妻と親交がある人なら理解して頂けるだろうけれど、 妻と私は、考え方も行動様式も違う。起きている原発事故の危険性に対する認識は似ていても、それにどう対応すべきか、という考えも違う。 妻には、迷惑をかけられないと思った。 @karitoshi2011

2015-09-20 17:50:36