山本七平botまとめ/【戦中・戦後をつらぬく"目"①】フィリピン従軍体験について

山本七平『人生について』/戦中・戦後をつらぬく"目"/192頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【戦中・戦後をつらぬく”目”】【質問者/以下〔質〕】戦地はどこへ…。 【山本】フィリピンです。ルソン島ですから、一番ひどい所だったでしょうね。 【質】最終の階級は…。 【山本】私はたしか陸軍中尉の筈なんです(笑)。 【質】「…筈」とは、これまた…。<『人生について』

2015-09-14 19:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

②【山本】中尉の筈というのはおかしい話なんですよねえ。 普通だと「陸軍中尉を命ず」と書いた辞令が来る筈なんですが、その頃はジャングルの中でしてね。 【質】届かなかったわけですね。 【山本】なんにも届かないんですよ。

2015-09-14 20:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

③【山本】もうバラバラでしてね、部隊編成も何もなくて、十人位のグループで、ただジャングルの中に籠っているだけでして。 【質】その辺の事情をもう少し詳しくお話しして頂けませんか。 【山本】私は最初から部隊本部にいましてね、砲兵隊の本部付きでした。

2015-09-14 20:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

④【山本】砲兵の仕事には二つありましてね、一つは砲を発射する事、もう一つは測量なんですねえ。 「測地」と言ってましたがねえ、砲兵旅団となると測地するだけの部隊が一個大隊もある訳ですが、私がいたのはずっと小規模の部隊です。 アメリカ…だと空中写真なんか併用するんでしょうけどね。

2015-09-14 21:08:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤【山本】日本は、測量器械を使って広い前線を一つ一つ測量しましてね、各砲車の位置と敵が出て来そうな位置との関係位置を全部図面にしちゃうんです。 砲兵隊の一個連隊といっても、砲が36門もあるわけで、それがあっちこっち散らばっていまして、ばらばらに撃ったんじゃ効果的でないから、(続

2015-09-14 21:39:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥続>様々の位置の砲車の砲弾が一ヵ所に集中するように射撃するわけです。 例えば「一分六発三分間」の二倍の六分で約千発の砲弾をA地点に向けて一斉に発射させる、次の六分間は、千発をB地点に向ける、 こうする事が一番効果的なんですねえ。

2015-09-14 22:08:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦【山本】その為には敵の居そうな位置と味方の全砲車との関係図が必要な訳です。 【質】すると今でも地図屋さんになれる訳ですね(笑)。 【山本】ええ。…しかし、測地ができたのも編成がとれてる時の話で、バラバラになってしまうと砲兵というのは用をなしませんからねえ。

2015-09-14 22:39:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧【山本】私達がいた所はルソン島の一番北のアパリ…港の近くでして丘陵地帯になっていまして、そこからジャングルになるような所でしたね。 【質】北部の海岸までは近いんですか。 【山本】六千m位でしたね。海岸の近くに飛行場がありまして、そこが取られたら台湾との連絡が切れる訳です。

2015-09-14 23:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨【山本】で、私達は、飛行場がアメリカ軍に占領された場合のことを考えて、飛行場へ向けて射撃をしようという位置にいたわけなんです。 ところがアメリカはそんなつもりはないんで、日本は全然なめられていたらしいんで、台湾との連絡を断とうなんて気はないんですね。

2015-09-14 23:39:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩【山本】いきなりリンガエンにあがってきまして、マニラが陥ちましてね。 【質】突然、背中の方から刀をつきつけて来た…。 【山本】ハハハハ…その通りでして、…で、慌てて師団全部が逆に向き直したという事になりましてねえ。 【質】アメリカ軍はどんどん北上して来たわけですね。

2015-09-15 08:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪【山本】ええ。私達の所から南に三百キロぐらいのところにバレテパスという峠がありまして、満州から来た師団がそこでまあ酷い戦闘をくりひろげまして、そこがいよいよダメらしいというんで、私達の師団も応援にそこへ転進したんです。

2015-09-15 08:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫【山本】その時、一個大隊の歩兵と砲兵の一個中隊とそれに本部の人間を一人だけ残して行ったんです。 その、本部の人間の一人というのが私でして…。 【質】その頃はもうジャングルの中に本部は移っていたんですか。

2015-09-15 09:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬【山本】ええ、転進したのが二十年の二月から四月にかけてですから、ジャングルにはいったのは、十九年の九月でした。 初めの頃は、ジャングルにはいったと言っても、平地にも道路にも平気で行けた時代でしたがねえ。 【質】で、山本さんを残して行った部隊は結局どうなったんですか。

2015-09-15 09:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭【山本】バレテパスの峠へ行きつく前に、もう向こうが突破して来まして、その手前の峠でアメリカ軍と遭遇して、殆ど生きていないんですねえ。 戦後調べたんですけど、本部では六人か七人生きてるっていうことでしたけど、ハゲ山でしたから、どうにもならなかったんですね。

2015-09-15 10:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮【山本】そこヘアパリからも上陸してきて、腹背から攻撃される形になり、しようがないんで、撤退して、東海岸に近いほうのサンホセという盆地にはいりまして、それが六月の終り頃です。 その盆地の入口が突破されたのが、七月の六日頃で、それでまたその周辺のジャングルにはいったわけです。

2015-09-15 10:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯【山本】もうそうなるとアメリカの方は掃討戦というわけで、最後の掃討戦が八月十三日だと思います。 【質】終戦ギリギリというところですね。 【山本】最後の戦闘の時は池田という少尉さん以下十三名が全滅しましてね。 で、今度はこっちの番だと思っていたわけです。

2015-09-15 11:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

①【山本】勿論8月15日になっても戦争が終ったのは知りませんからねえ。しかし、どうも様子がおかしい。 【質】その時は何人いたんですか。 【山本】最後に私といたのは…合計私を入れて12人でした。 【質】で、いつ終戦を知ったんですか。 【山本】8月の27日でしてね。<『人生について』

2015-09-15 11:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

②【質】割合に早かったんですね。 【山本】確か25日に停戦命令が出ているんですね。 【質】戦争が終った事は何で判ったんですか。 【山本】…私達の所から随分離れた地区隊の副官がアメリカ兵に伴われて…日章旗を持って「戦争が終ったんだから出て来い」と言って来たんです。

2015-09-15 12:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

③【山本】それで知ったわけです。 【質】やはり信じにくかったでしようね、横井さんじゃないけれども…。 【山本】いや、これがですね、横井さんの時もそれを感ずるんですけど、それまでにもアメリカは正確なビラをまいているんですよ。

2015-09-15 12:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

④【山本】ドイツの降服とか原爆の投下だとか、そういう事を皆知ってるんですよ。内地にいた人より知ってたんじゃないかって笑うんですけどね(笑)。 まあ、中にはデマも書いてあるんでしょうが、正確な情報もあるんですよ。落下傘新聞というやつでね、裏には三越の広告ものっていたり(笑)、(続

2015-09-15 13:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤続>「フクちゃん」のマンガがのっていたりするんですね。 こちらは紙不足でしたから、大変助かったわけですけど(笑)。 戦争が終る前にも、降伏をすすめるビラがまかれましてね。

2015-09-15 13:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥【山本】これは赤い枠の中が真白になっている紙を折った物で、それを広げて木の枝にさして高く揚げて出て来たら、絶対に射撃しないから、病院船でちゃんと内地へ帰してやるから、というんですね。 だけど、出て行きゃ、やっぱり弾が飛んで来るんですよね。 【質】出るにも勇気がいる訳ですね。

2015-09-15 14:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦【山本】よく、ジャングルの中にいてなぜ出て来ないかっていいますけどね、安全なら誰でも出て行きますけどね。 弾が飛んで来るんですから、そう気やすく出る訳にいかないんですね。

2015-09-15 14:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧【山本】これが、一個師団なら一個師団全部が降服するということですと、降服命令がくれば、いやでも命令どおりに出て行きますけどね。 軍隊という所はそういう所です。 だけど、自分の意志でブラブラ出て行って、射殺されればそれまでですから、よほど勇気のいることなんですね。

2015-09-15 15:09:01