加賀さんと秋刀魚。

去年の今頃につぶやいた短編。 秋の夜長に加賀さんと秋刀魚はいかがですか?
3
@nezikure

加賀さんが秋刀魚を捕まえて帰ってきた。 釣って、ではなく捕まえて 網などを使うこともなく 任務の帰りに何気なく海に腕を突っ込んで 海面から腕を引き上げたら、そこに秋刀魚が握られていたらしい、熊か何かか。 尚、試しに真似をしてみた瑞鶴はツインテールを濡らすだけに終わったらしい。

2014-09-21 23:47:27
@nezikure

何はともあれ、秋刀魚だ。 食堂では季節の食材はよく食卓に並ぶ。 ただ、どうしても今加賀さんがしているように七輪で炙る様な調理は味わえない。 営内での火の使用ということで監督しているのだが 「………」 「………」 会話は無い、加賀さんは下拵えをされた秋刀魚を凝視している。

2014-09-21 23:50:51
@nezikure

赤熱した炭が秋刀魚の表面を炙る音だけが聞こえる空間で お互い、無言 最初は面白がっていた駆逐艦達も この異様な空気に居づらいものを感じたのか 各々帰って行ってしまった。 結果、大の大人とうら若い女子が二人 「……」 「……」 こうして無言で、七輪の秋刀魚を眺めている。

2014-09-21 23:54:43
@nezikure

実際のところ、規則を言い訳に自分の意志でここにいるわけだが 本来であれば、許可だけ出して 片付けが終わったらその報告を貰えれば良い。 『今日の出来事』として記憶に加えるまでもない些事である。 が、敢えて直接の監督を申し出たのは… 「………」 「………」 申し出たのは、何故だったか

2014-09-21 23:59:44
@nezikure

すっーと 菜箸が伸びて秋刀魚が裏返った。 僅かに裂けた焼き皮と、ワタを抜いた腹から滲みでた油がじぅと炭に落ちる。 それにしても上手いものだ。 小僧の時分に厨房に隠れ入り 七輪を引っ張りだして、沢で釣り上げた小魚を独り占めしようと 炭火で炙った事があるが あれ程綺麗には焼けなかった

2014-09-22 00:04:58
@nezikure

当然、普段から厨房に立てるような家ではなかったし 手持ちの小刀でワタを抜くのもおっかなびっくりだったのだから 下拵えなどしていなかったし、七輪で魚を焼いた事もなかった。 つまりは、加賀さんは慣れているという事で… 「もうすぐ焼けます」 「おっと」 いつの間にか、日は落ちていた。

2014-09-22 00:08:24
@nezikure

再び菜箸が伸びて 焼き皮も残さず、秋刀魚は網から皿に引き上げられた。 七輪には黒い鉄蓋が被せられ すっかり肌寒くなった風の中でも仄かに温かい。 加賀さんはその鉄蓋の上に皿を置いて、木箸を取り出し 「いただきます」 と手を合わせた。 え、と 内心、固まった。

2014-09-22 00:16:05
@nezikure

ご飯は要らないのですか、とか 薬味は使わないのですか、とか せめても飲み物くらいは、とか そんな事は、後から思い浮かんだ事で まさか、そのままここで食べ始めるとは思わなかった。 鉄蓋の上に載った皿では 見た事がないほど丁寧に皮を剥かれ 小骨を削がれ、身を分けられた…焼き秋刀魚。

2014-09-22 00:21:49
@nezikure

はふっと 見るからに熱々の秋刀魚をまずは一口、加賀さんが口に入れた。 「………」 「………」 無言でほふっと二口、三口。 特に何か感じ入る様な様子もなく ごくごく普通に、長くも短くもない間に焼秋刀魚の半身は加賀さんの口に運ばれていった。

2014-09-22 00:26:10
@nezikure

順当に行けば、あと同じだけの時間をかけて 残った半分も加賀さんが食べるのだろうが ふと、加賀さんと眼があった。 「………」 「………」 無言は変わらず ただ眼で促されて、簡易の食卓となった七輪に近づくと すっーっと、小袖を抑えた綺麗な所作で 木箸が焼き秋刀魚を一口分、運んできた。

2014-09-22 00:30:11
@nezikure

あ、とか え、とか いくらか間の抜けた音を漏らしてから 促されるまま口を開くと、熱い物が口の中に…秋刀魚だ。 七輪から引き上げて、それなりに時間が経っている筈なのに 焼き立ての様に温い…というより熱いのは 七輪の鉄蓋の上に皿を置いたからだろうか 不意打ちの様に熱く、旨い。

2014-09-22 00:34:36
@nezikure

口の中の秋刀魚は、特別味付けはされていない様に思われた。 実際、塩も醤油も使っていなかったように見えたし そういった味はしない様に感じる。 ただ熱くて、旨い。 秋刀魚は毎年口にするが初めての味覚の様に思う。 「………」 「………」 はふっと 加賀さんがまた秋刀魚を口に運ぶ。

2014-09-22 00:39:11
@nezikure

口の中の秋刀魚をよく噛んで味わい、飲み込んで 遅れて口にした加賀さんもそうした後 また一口分、秋刀魚が運ばれてきて 今度は無意識の内に秋刀魚は口の中にあった。 しばし、よく噛んで味わう 加賀さんもそうした。 それを数度、二人で繰り返している内に 秋刀魚は綺麗に食べ終わっていた。

2014-09-22 00:44:22
@nezikure

「ごちそうさまでした」 「ごちそうさまでした」 そう言って、手を合わせる。 使い終わった七輪を食堂の厨房に返さなくてはいけない。 加賀さんが手を伸ばしたが 「運びます」 遮って、自分が運ぶことにする。 「…お願いします」 食堂はそう離れたところではない。

2014-09-22 00:48:31
@nezikure

鳳翔さんの指示で、他の食器と同じ様に水を張った桶に金網と皿だけを放り込んで、菜箸と木箸を洗う。 加賀さんはというと、営内に住み着いた猫に 秋刀魚の皮や骨を振る舞いに行ったとの事だ ……猫、嫌いな生き物ではないのだが ここに住み着いているという事に何故か、忸怩たる思いが有る。

2014-09-22 00:52:21
@nezikure

「提督?」 「はい」 いつの間にか戻ってきていたらしい加賀さんに 湯気の立つ湯飲みを差し出される。 湯飲みの中は茶の様で仄かになにか、良い香りがする。 「これは?」 「御茶です」 秋刀魚は脂が多いから、と言う。 湯飲み越しでも指が熱い どうも適温よりもかなり熱いらしい。

2014-09-22 00:57:31
@nezikure

痺れるように熱い一口と、なれない酸味。 「…なんですか、これ」 「酢橘を入れているから」 と、急須の蓋を開けて見せられる。 中には薄切りの酢橘が何枚か、皮ごと浮かんでいる。 夏場、金剛が偶に呑んでいたレモンティーとかと同じ様な物だろうか?

2014-09-22 01:01:40
@nezikure

二口目、それとわかって口にすると なるほど酢橘の香りが程よい。 茶が熱いのも、口の中がさっぱりして適切な様に思える。 「…旨い」 「…そう」 しばし、厨房で茶を楽しむ。 促されてその後二杯目も注いでもらう。 「秋刀魚に直接絞るよりも、こちらの方が好きなので」 ぽつりと、加賀さんが

2014-09-22 01:05:24
@nezikure

「他の子には変だと言われて、外食でもこうしている所は見たことが無いの」 「そう、ですね」 実際、こういう秋刀魚の味わい方は 他では見た事が無い。 「とても、良かったです」 「…良かった?」 美味しかったとか、新鮮だったとかではなく? と問われている様なしばしの間。

2014-09-22 01:08:06
@nezikure

「はい、教えてもらって良かったと そう思います」 「…そうですか」 「はい、嬉しかったです」 「…そう」 なら良かった、と 湯飲みを流しの桶に沈めて 「火の使用許可、ありがとうございました。今日は私室に戻ります、おやすみなさい」 「はい、おやすみなさい」 と、加賀さんを見送った。

2014-09-22 01:12:44
@nezikure

急須の中には、あと湯飲み半分程 酢橘の茶が残っていて それを湯飲みに注いでから、ちびちびと呑んでいく。 「…渋い」 急須に残っていた酢橘の汁が まとめて最後の一杯に凝縮されてしまっていたのか 湯飲み半分ほどの残りは 随分と独特な物になっていた。

2014-09-22 01:16:12
@nezikure

焜炉に火をかけて、湯を沸かす。 この急須に熱湯を注げば、もう一度くらい加賀さんが入れてくれた見事な酢橘茶が出来ないだろうか等と 益体もない事を考えながら 「今夜は一人か…」 艶っぽい意味ではなく、秘書艦に先に眠られてしまった今夜の書類仕事を思って せめて旨い茶が共に欲しいと思い。

2014-09-22 01:19:45
@nezikure

渋い茶を、未練たらしく啜る事にした。

2014-09-22 01:20:37