軍歌ツイートまとめ

7
原田 実 @gishigaku

軍を讃える歌が哀しげな歌詞やメロディーになるのはロシア(ソ連)だけではなくて日本の軍歌もそうです。『空の神兵』は例外だけどこれは軍歌に暗い歌が多いので明るい歌を書いてほしいと作曲者が依頼されたから youtube.com/watch?v=sZwRg-… @LingkoNIKI

2015-03-19 18:24:38
拡大
リンク YouTube 空の神兵 空の神兵 作詞:梅木三郎 先生 作曲:高木東六 先生 藍より蒼き 大空に 大空に たちまち開く 百千の 真白き薔薇の 花模様 見よ落下傘 空に降り 見よ落下傘 空を征く 見よ落下傘 空を征く 世紀の花よ 落下傘 落下傘 その純白に 赤き血を 捧げて悔いぬ 奇襲隊 この青空も 敵の空 この山河も 敵の陣 この山河も...
毎日新聞くらし医療チーム @mainichikurashi

【特集ワイド】いわゆる安保法案を巡って「憲法守れ!」の声が高まる戦後70年の夏、東京・銀座に軍歌が流れていた。右翼の街宣車からではない。軍歌酒場から。おずおずと扉を開けたら−−。 ow.ly/Qpg1a #毎日新聞

2015-08-04 07:03:03
小川一 @pinpinkiri

名手・鈴木琢磨記者が軍歌を書いた特集ワイド。「軍歌は政治と音楽が結びついた愛国ビジネス、日本史上最大の政治的エンタメだったんです。戦争になればアイドルが軍歌を歌うかもしれない。悲劇がいきなりくるんじゃなく楽しいものとして・・・」mainichi.jp/shimen/news/20…

2015-08-03 16:07:21
辻田 真佐憲 @reichsneet

軍歌の懸賞公募は、戦時下に毎月のように行われていました。当時は、懸賞情報だけを集めた雑誌もあったのです。で、そのなかからは何曲も当選してしまう「当選王」まで誕生しました。これは日中戦争・太平洋戦争だけではなく、日清戦争以来の伝統でもありました。

2015-08-04 21:47:57
辻田 真佐憲 @reichsneet

最終的に敗戦してしまったので、当事者たちも悲劇的な面ばかりを強調しがちですが、勝ち戦は楽しいイベントでもあったのです。軍歌集がバカ売れして出版社の社主が大喜びという記事や、軍歌を演奏して家が建った演奏家の話などが残っています。だからこそ、歯止めが効かなくなって危険なのですが。

2015-08-04 21:49:53
産経ニュース @Sankei_news

「ガルパン」でも使用され、若者にも関心広がる。 【戦後70年】軍歌・戦時歌謡曲に再び脚光! CDや書籍の発売相次ぐ sankei.com/west/news/1508… @SankeiNews_WESTさんから #ガルパン pic.twitter.com/stO2MJxmjt

2015-08-07 17:34:21
拡大
リンク 産経WEST 【戦後70年】軍歌・戦時歌謡曲に再び脚光! CDや書籍の発売相次ぐ、若者もサブカルとして親しむ 先の大戦の終結から70年となり、戦争経験者が減少する中、明治以降に作られた軍歌や戦時歌謡曲をまとめたCDや書籍が相次いで発売され、あらためて脚光を浴びている。近…
辻田 真佐憲 @reichsneet

産経新聞の記事がアップされました。私もコメントしています。 → 【戦後70年】軍歌・戦時歌謡曲に再び脚光! CDや書籍の発売相次ぐ、若者もサブカルとして親しむ - 産経ニュース sankei.com/west/news/1508… @Sankei_newsさんから

2015-08-07 14:08:15
幻冬舎plus @gentoshap

辻田真佐憲 戦前日本にはなぜトンデモ軍歌が溢れていたのか<軍歌を見れば、日本がわかる> - 幻冬舎plus gentosha.jp/articles/-/2368 戦争に便乗する商業主義が「軍歌」をつくった

2015-08-07 18:31:28
リンク GENTOSHA PLUS 幻冬舎 辻田真佐憲 戦前日本にはなぜトンデモ軍歌が溢れていたのか<軍歌を見れば、日本がわかる> - 幻冬舎plus 今日、軍歌というと、軍部が民衆に押し付けた退屈な音楽だと思うのではないでしょうか。街宣車から鳴り響く物々しい音楽を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、実際は、軍歌は戦前の生活に根付いた娯楽だったのです。軍歌の知られざる一面を紹介します。
辻田 真佐憲 @reichsneet

韓国では、讃美歌の「ペテロとアンデレ」が日本軍歌「勇敢なる水兵」の替え歌だったりと、音楽の面でも様々なところに「日帝残滓」がある。一方、祝日大祭日唱歌「紀元節」を「壇君記念」に替え歌するところなどは、なかなか面白い試みだと思われる。

2015-08-12 11:31:50
辻田 真佐憲 @reichsneet

「旧日本軍の軍歌や行進曲に似ている各学校の校歌に、国楽(韓国伝統の音楽)の伴奏を付けて普及させている。」 「日本軍歌風」校歌、国楽伴奏で日帝残滓精算 Chosun Online | 朝鮮日報 chosunonline.com/site/data/html… @chosunonlineさんから

2015-08-12 11:28:11
幻冬舎plus @gentoshap

戦時中、ある大佐の「音楽は軍需品なり」という発言で活気づく音楽業界。「実は、軍歌は、日本史上、最も国民の心を掴んだ音楽だったのです。」軍歌の歴史がわかるコラムです。 辻田真佐憲 第1回 音楽による総力戦 - 幻冬舎plus gentosha.jp/articles/-/4021

2015-08-13 12:10:30
リンク GENTOSHA PLUS 幻冬舎 辻田真佐憲 第1回 音楽による総力戦<日本の軍歌 国民的音楽の歴史> - 幻冬舎plus 軍歌とは、軍部が上から押しつけたおそろしい音楽だと思っている人がいるかもしれません。しかし、実は、軍歌は、日本史上、最も国民の心を掴んだ音楽だったのです。国民にとっては生活に根差した身近な娯楽であり、レコード会社・新聞社・出版社にとっては出せば確実に儲かる商品、政府にとっては国民を戦争に動員するため道具だった、というわけです。『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』は政治と娯楽が結びつき、熱狂を生んだ末路がいかにおそろしいものだったかを教えてくれます。けっして現代と無関係な話ではないのです。
koji hasegawa @myfavoritescene

辻田真佐憲 日本人は一攫千金を狙って軍歌を作った<軍歌を見れば、日本がわかる> - 幻冬舎plus gentosha.jp/articles/-/2406

2015-08-13 17:27:45
リンク GENTOSHA PLUS 幻冬舎 辻田真佐憲 日本人は一攫千金を狙って軍歌を作った<軍歌を見れば、日本がわかる> - 幻冬舎plus 世の中には軍歌を「戦時歌謡」と区別したり、あるいは軍歌を「国民歌」や「愛国歌」と呼んだりする人がいます。いや、そんな人知らないといわれるかもしれませんが、軍歌研究の世界には、軍歌の定義をめぐって延々と議論している変わり者たちが結構いるのです。
koji hasegawa @myfavoritescene

「戦前の軍歌の当選賞金はかなり高額でした。満洲事変の頃は500円、日中戦争が始まると1000円、1500円、2000円……とうなぎ登り。昭和戦前期のサラリーマンの平均年収は1200円ほどだったといいますから、応募した歌詞が当選すれば、いきなり年収がポンと手に入ったわけです。(続

2015-08-13 17:29:07
koji hasegawa @myfavoritescene

続)どうしてこんなに高額になったのかというと、それは懸賞募集を主催した新聞社同士が激しく競いあったからです。新聞社にとって、軍歌募集は国への忠誠心をアピールする機会であると同時に、読者を引きつけて部数を伸ばす絶好のイベントでもあったのです」変わらぬ新聞社ぶりは消費税で見た通り;;

2015-08-13 17:31:29
anamon_books @anamon_books

次世代の戦後:記憶と表現 軍歌研究 辻田真佐憲さん - 毎日新聞 mainichi.jp/area/news/2015…

2015-08-13 20:05:54
辻田 真佐憲 @reichsneet

軍歌の懸賞公募にも言及。毎日は一番熱心でしたから。「爆弾三勇士の歌」「露営の歌」「日の丸行進曲」「国民進軍歌」「大東亜決戦の歌」…… /戦後70年これまで・これから:新聞は「戦争」をどう報じたか(その1) 戦意あおり暴走加担 毎日新聞 mainichi.jp/shimen/news/20…

2015-08-15 20:55:52
辻田 真佐憲 @reichsneet

朝日は「肉弾三勇士の歌」「父よあなたは強かった」、読売は「空の勇士」「海の進軍」。雑誌では、講談社が「出征兵士を送る歌」、主婦之友社が「靖国神社の歌」。ラジオでは、日本放送協会が「紀元二千六百年」。政府機関では、内閣情報部が「愛国行進曲」、陸軍省が「愛馬進軍歌」。どれも懸賞公募。

2015-08-15 21:01:26
幻冬舎plus @gentoshap

戦争は商機。「軍需品としての音楽」の絶頂と転換 辻田真佐憲 第2回「軍歌大国」の黄金時代<特別企画:戦後70年> gentosha.jp/articles/-/4075

2015-08-23 09:01:36
リンク GENTOSHA PLUS 幻冬舎 辻田真佐憲 第2回「軍歌大国」の黄金時代<日本の軍歌 国民的音楽の歴史> - 幻冬舎plus 一九四一(昭和十六)年一月、東条英機陸軍大臣から「戦陣訓」が示達された。「生きて虜囚の辱めを受けず」という一節が、のちの玉砕や自決の原因になったと批判されるあの訓令である。