- mino_ishioka
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「ああいうことが出来る」「こういうことも出来る」という自由はそれ一つ一つがいわば『ルール』だから、色々なことが出来るようにすればするほどプレイする側にとっては『ルールが増えて』『出来ることが減っていく』みたいな感覚は、僕の中では結構ある。
2015-10-12 21:47:55@kuroda_osafune キャラが増えすぎた結果、『最善の組み合わせ』以外がゴミ扱いされて選択肢がなくなるソシャゲがなんだって?
2015-10-12 22:16:21そうそう、この「『最善の組み合わせ』以外がゴミ扱い」の部分に先程意識が反応したのでした。なお自分は基本的にやはり(T)RPG者としてゲーム史を眺めるところがあるので、そういう話になる。
2015-10-13 00:37:31まず、ゲームの大枠の快楽構造の骨子に「障害を戦闘システムで排除する」具体的には「戦闘でHPを削る」というのがあると、必然的にそれへの最適化が起こるので、そのためのデータを多様にすればするほど最適化行為と「排除されるゴミデータ」が増進してしまう――という構造がかなり普遍的にあると。
2015-10-13 00:39:02ここから導かれる思考の流れの一つが(特に整理されたことは言いません)、その中で如何に「変なこと」をできるか、が自由度を感じる焦点の一つだということで、それは一定方向への複雑なシステムがもたらすものであるということ。
2015-10-13 00:43:24例えば具体的なマップを広げて距離を計算して様々な移動行為が行えるシステムだとそうでない簡易戦闘システムよりこれをやりやすいし、「変な動きをしている」というのが可視化されやすい。
2015-10-13 00:44:40ここで先日このまとめ「ヒーラーは武勇伝分が足りない togetter.com/li/881347 」を見て思ったことをさらっと書きますが(なんかそういうのをまとめて吐き出しておく機会にしているだけ感)
2015-10-13 00:47:17まず(ヒーラーの活動は他の役割より武勇伝として語りにくいのがヒーラー不人気の一因という論の)一般的な妥当性は高いと思いますが、端的に一般化すると「障害を戦闘システムで排除する」の「排除」に直接寄与するわけではないから――という話だと思う。
2015-10-13 00:49:35それはそれとして個別的記憶を言うなら、自分のD&D歴の中で最も印象的だったキャラクターは純粋ヒーラーだったりする。わたしが目撃したそのヒーラーは、他のキャラの背嚢に入った水槽の中にいて(極小サイズ)チャンバラには関わらず、それでいてどんな味方も無理やり生かす恐るべきキャラでした。
2015-10-13 00:52:57ここで自由度の文脈に戻すと、戦場を記述するルール・データの多様性こそが、戦場に送り出すユニットの多様性、ユニットを記述するデータの多様性(の自由選択)の実質を保証するのだなという話をしたかったわけです。
2015-10-13 00:57:15先程言ったようにそんな整理された話はしないので、その話と微妙にズレる自由度の話をしますと、D&Dが4thになって旧ヒーラーが「指揮役」となり、殴りながら回復する役柄になったのを見た時は、ああいう(先述の)ヒーラーみたいなのはやれなくなってしまったな、と感じたものですね。
2015-10-13 01:01:48全PCに「活躍」――先程のまとめで使われた用語で言えば「武勇伝」を保証するために強い共通規格を導入した結果、変則的なキャラクターの許容度が(つまり自由度が)下がったということですね。ここは期待値的な安定度と自由度の背反という文脈での自由度の話。
2015-10-13 01:03:09#まあRPGのキャラ構築なんてヤバイと思わせられればいいので #ヤバさの尺度が多様だと自由度高いって話になるよねとかそういうアレ
2015-10-13 01:09:46#RPGのキャラ構築がヤバイと思わせられればいいとか言うのも如何なものだろうか #もっと普通に大人しくIKOUZE
2015-10-13 01:10:35ユニットが完成して戦場(というか実セッション)に送り出された時点で「一つのゲーム」が完成するわけですが、それを踏まえるとキャラメイクの自由度がプレイヤーの行動の自由度を盛大に制限している好例と言えそう。
2015-10-13 01:23:18もちろんデザイナーとプレイヤーが同一、ないしキャラクター選択の自由がプレイヤーに認められているという担保があるから成立しているわけですが。
2015-10-13 01:24:15まあ、「自由度」は別に「ランダムな動き」の自由ではない(イコールではないというだけで後者は前者に含まれ得る)とかそういう話かとは思う。何かすると決めて、それができるかという話で、そこのいわゆる意思決定とかいうアレが阻害されるかどうかよな。
2015-10-13 01:29:04PLの意志で自由度を狭めた、ないしその意思決定の必然的結果として特殊な不自由性が起こってしまったとしても、それはシステムないしメカニズムの不自由と見なされる点ではない(おそらく)、くらいの話ですかね。
2015-10-13 01:30:57もちろん「全能者は論理的制約からも自由であって、同じ条件に束縛されていてかつ同時に束縛されないことができるが、非全能な有限存在者である我々にはそれができない。これは現実というメカニズムの不自由性を示している」みたいな話を始めることもできるんですが #そういう話はやめよう
2015-10-13 01:34:46