[中村政人個展]「領域を超えて表現するアーティストが描くポスト2020」[実況]
- misonikomioden
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宇川「ミュージッククリップ産業の頂点、つまり斜陽になる直前にこんな作品つくってたが、その時にはアートピースとしての作品を考えてた。 そこで全てのキャリアを投げ打ちDOMMUNEへ
2015-10-24 17:13:01宇川「やってることが実験の現場を求めさすらっていただけだった。なのでDOMMUNE。といか現代アーティストとすでに名乗ってもおかしくない。
2015-10-24 17:15:12宇川「横尾さんが画家宣言した以降グラフィックデザイナーが展覧会するのが流行った時期があり、その最高峰が2000年代初頭にあったJAM展。両方参加して東京展にはポスターをつくった。視覚表現しても平面は出さないとしていた。デザインとみられるから
2015-10-24 17:15:24宇川「画家宣言せず現代アートへ突破できた。 2010年頃SNS元年といえる時に配信行為と記録をパフォーミングアートとしてのDOMMUNEを現代アートのフィールドとしてやりはじめた
2015-10-24 17:21:25五所「3331スペースを自作品と中村政人は言ってる。自意識問題だけでなくテクノロジーと時代状況により肩書の問題が出てくる。これからの活動余地などはどうか?
2015-10-24 17:23:10中村「グラフィックという位置付けがデザインでも曖昧。日本グラフィック展の日比野克彦受賞など。彼は今やコミュニティアートの代表だ。 グラフィックやってる人から多岐にわたる活動する作家がでてきた。
2015-10-24 17:24:03中村「グラフィックが曖昧でありつつハブ機能がある。 視覚表現で産業と結びついてする人と、藝大中心のアカデミックで西洋コンテキストを重視する産業、それが立ち位置違うが、宇川が現代アーティストとなったと21世紀美術館へ収められるんだ、と
2015-10-24 17:25:40中村「90年代にアートワールドを目指し活動する中で、ヴェニスビエンナーレ以降、広い社会で活動するにはどうするかと、僕もDTP第一世代で、なんでもやっている。 日本の版下持って行って韓国で印刷したり。でもデザイナーとは名乗らなかった。
2015-10-24 17:27:01中村「移行期で変化の兆しあるが、どの方向に行くのか。 宇川「クリエイターという便利な言葉ができた。90年代。それが問題。その問題点が高城剛。ハイパーメディアクリエイターだし、クリエイターとは何か見せるべきであった。しかしほとんど残してない。チキチキマシンだけか。
2015-10-24 17:28:07宇川「高城剛の背中を見て後の世代が続かないといけなかったのに、クリエイターとは高城剛のように何をしてるかわからない人と特定されてしまった。映像作家だが、映像つくっているのか?
2015-10-24 17:28:59中村「クリエイティブフィールドなら広いが、アートフィールドだと狭いし、美術なんていったら、もの派から続く、、、という狭さ。 僕らの場合はもっと複雑で、、、
2015-10-24 17:29:44中村「プロジェクトアートについて。 SETでの佐藤さんの実力はすごい。KANDADAやってた時期だ。デザイナーが集まってるな-と思ってたが、今後はどうか?
2015-10-24 17:31:00佐藤「宇川同様、実験の現場を探っている。清水に誘われSETに参加した。彼はリノベーションを通じて機能不全に陥った地域を解決する。それは作品発表とは関係なく何らかの課題に対し対応するものだ。
2015-10-24 17:32:04佐藤「清水から紹介されて、ある問屋街として栄えていたため逆に単一化した昨日で多様な店が消え斜陽化するとガラガラになってしまう、と考えれば当たり前だけど、それをどうするか、とそんな話をふってきた
2015-10-24 17:34:18中村「佐藤はデザインフィールドで活動してきたから、ソーシャルデザインをする人となっている。宇川もそうだが、出来事を調整し強め弱めるというデザイン力。地域の芸術系について、ミラノサローネや○○のような、デザインでありプロダクトである世界的イベントがあるが、
2015-10-24 17:35:26宇川「四ヶ月前にリンツへ行き審査員していた。元々はメディアアートフェスでなく音楽フェスだった。冨田勲が重要だ。リンツドナウ川でミュージッククラウドという宇宙船を作り中で光と音のアートをして人が沢山来て、そこで視覚にも注目され、観光化した
2015-10-24 17:37:12