東洋と西洋

自分で読むため
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島薗進 @Shimazono

生活文化に根差した知、また世界の人々の多様性を前提とした知において、堅固な積み重ねではない探求の仕方が進むので、人文社会系のディシブリン(西洋で形づくられたものが基礎)の堅い枠が維持しにくくなる。哲学思想系は顕著です。法学、歴史学など例外的かも。

2011-01-14 10:28:26
T. Matsudaira @tomatsudaira

@Shimazono ご指摘のとおりと思います。草の根・現場の知は学知とは比較不能な意味で対等です。宗教・哲学による自然と人間の関係の捉え方と、相対性理論と量子力学を統合して万物の理論をつくる試みとは対等です。法学でもたとえば長谷部恭男さんが「非法学」について同旨の指摘をします。

2011-01-14 10:39:03
T. Matsudaira @tomatsudaira

@Shimazono (2)あの人のことだからどこまで本音かはわからないが、建前上いちおうそう言います。問題は、なぜ現場知が学知に優越するといえるかです。その背後にある種の権威主義的心性を見てとれるのではないか。ナロードも正義論も消費者主権も人を黙らせようとする点で一緒です(続)

2011-01-14 10:49:58
T. Matsudaira @tomatsudaira

@Shimazono (3)欧米と違って、日本では「生活文化」の権威は大学の外ではずっと優位です。学知はたかが大学・国家試験・科研などの制度によって養われる寄生的存在。人間は未知の力によって生かされている(某経団連会長経験者の名言)、優勝劣敗も貧富格差も当然甘受すべき、(続)

2011-01-14 10:55:49
T. Matsudaira @tomatsudaira

@Shimazono (3)反対意見対抗言論うんぬんは屁理屈、和を乱すから言うななど。不幸不運はまず自分のせいにし、次は人のせいにするが、社会制度的な理由でそうなっているかもしれないなどと考えない。政治社会の構造など難しいことをいう人たちに対しては不信感やジェラシーを抱く。(続

2011-01-14 11:03:30
T. Matsudaira @tomatsudaira

@Shimazono (4)戦争中の日本社会から最近の「政治とカネ」騒ぎまで、草の根「生活文化」はじつはあまり変わっていない。哲学・思想は皮膚感覚にかかわる学問だからそのうち「疲れ」がたまり草の根に逆らえなくなる。法学は社会関係を権力関係(国家と個人、法人格をもつ人間同士)(続)

2011-01-14 11:15:51
T. Matsudaira @tomatsudaira

@Shimazono (5)として冷徹にとらえる学問なので、結論でナロードの皆さまに媚を売ることができても論理を曲げることは不可能。その程度の差。それでも、これから就職する学生に憲法上の権利を教え込んでも、そんな権利の大半は会社に入ったその日からなくなるので、むなしさは感じます。

2011-01-14 11:21:06