書評〈書物との対話〉 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』 (倉沢繭樹)

@mayuqix(倉沢繭樹)のツイッター書評。 ジョン・ダワー/三浦陽一、高杉忠明、田代泰子(《下》のみ)訳『敗北を抱きしめて』(上・下)岩波書店、2001年。
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倉沢 繭樹 @mayuqix

index9:〈書物との対話〉 ジョン・ダワー/三浦陽一、高杉忠明、田代泰子(《下》のみ)訳『敗北を抱きしめて』(上・下)岩波書店、2001年。 ( #haiboku#twnovel

2011-01-16 01:41:12
倉沢 繭樹 @mayuqix

〈書物との対話〉 ジョン・ダワー/三浦陽一、高杉忠明、田代泰子(《下》のみ)訳『敗北を抱きしめて』(上・下)岩波書店、2001年。 (2003年) 「戦争を知らない子供たち」は「戦後も知らない子供たち」である。そのひとりである私も、だからこの本を読んで、 #haiboku

2011-01-16 00:47:13
倉沢 繭樹 @mayuqix

何となく知っていたことや全然知らなかったことを、よく知ることができた。 敗戦後、日本政府が日本女性の「純潔の防波堤」として、売春業者と協力して占領軍向けの「慰安施設」をつくったことを知っても、驚くにはあたらない。戦時中に中国、朝鮮の女性たちに「従軍慰安婦」として #haiboku

2011-01-16 00:51:27
倉沢 繭樹 @mayuqix

やらせたことを、戦勝国にしたまでのことである。だが、さすがに国内では手荒な真似はせず、東京の銀座に「新日本女性に告ぐ」と書いた巨大な看板を立てて、一般女性から公募したそうだ。しかしGHQが公的売春を禁止した後に、「赤線」地帯で働いた女性の多くは、 #haiboku

2011-01-16 00:55:18
倉沢 繭樹 @mayuqix

「第三国」出身者だったというのは皮肉な話である。 また、戦時情報局(OWI)の分析家たちが天皇を指して「基本的にはからっぽの容器」だと主張したのは、フランスの哲学者、ロラン・バルトが訪日時に抱いた、日本の中心である皇居は禁忌の場所であるとともにどうでもいい #haiboku

2011-01-16 00:58:55
倉沢 繭樹 @mayuqix

「空虚な中心」だという印象と呼応している。そして私が最も注目したのは、米陸軍省が日本の占領軍に見せるために制作した『日本におけるわれわれの役割』という教育用短編映画についての記述である。実はこの映画は、占領軍のスタッフの要求で修正され上映されたが、 #haiboku

2011-01-16 01:01:45
倉沢 繭樹 @mayuqix

それは日本人を民主主義者に変えるという方向に占領政策が転換したことの反映であった。修正版では最後の数分間に、「優しそうなアメリカ人が魅力的でまじめな日本の女性や子供と交流するシーン」が挿入されていた。あれ、それはどこかで見たような、と思われた方、 #haiboku

2011-01-16 01:03:24
倉沢 繭樹 @mayuqix

それは有名なハリウッド・スターがお侍(サムライ)さんの格好で登場する、あの映画の中でだったはずだ。戦時中のプロパガンダ映画では強調された日本人の異質性が、『日本におけるわれわれの役割』修正版では打ち消されるように変更が加えてあった。 #haiboku

2011-01-16 01:05:42
倉沢 繭樹 @mayuqix

「スクリ-ン上には笑みをたたえた米軍兵士が、着物を着た日本人女性と会話するシーンが登場する。その女性は、もはやけっして奇妙な格好で踊りながらくるくる回ったり、鼻にかかった声で歌を歌うようなことはしない。続いて米兵が、まじめそうな少年といっしょに #haiboku

2011-01-16 01:07:37
倉沢 繭樹 @mayuqix

本を読んでいる場面があり、その後彼は、人形のような少女から花束を受けとるのである」。『ラスト・サムライ』の監督、エドワード・ズウィックは、リアリズムの追求によって、西洋人の誤解や偏見を克服しようとしている(注1)。だが、作品自体の構造が狙うものは、 #haiboku

2011-01-16 01:09:11
倉沢 繭樹 @mayuqix

時がたっても無反省なまま、相変わらず昔と同程度で、政治的に読めば自ずと明らかな正体を曝す。朝鮮戦争のさ中創設された自衛隊の前身、「警察予備隊」の訓練を指導したフランク・コワルスキー大佐は、それを組織、装備の面で「小さいアメリカ軍」だったと書いた、 #haiboku

2011-01-16 01:10:46
倉沢 繭樹 @mayuqix

というエピソードを紹介しておけば、もう充分だろうか。 マッカーサー司令部は戦時中から、日本の占領政策に天皇と天皇制を「善用」しようとしていたという事実、アメリカ側と日本側が手を携えて天皇を戦犯から外したという企て、 #haiboku

2011-01-16 01:12:55
倉沢 繭樹 @mayuqix

憲法がアメリカから「押しつけられた」経緯など、私の曖昧な認識を正してくれるところ大であった。評論家、大塚英志はこの本を読んで「生理的ともいえる不快さ」を感じたというが、私はそういう感想を持つことができない(注2)。 #haiboku

2011-01-16 01:14:02
倉沢 繭樹 @mayuqix

歴史とはまず、「誰か」の歴史であるからには、それを誰が書こうと、すぐれた研究は評価するだけのことだ(注3)。これは「戦争を知らない子供たち」が「戦争」の実相を想像してみるために、「戦後」を辿らせてくれる「叙事詩」だ。 #haiboku

2011-01-16 01:15:43
倉沢 繭樹 @mayuqix

  注 (1)『朝日新聞』2003年11月27日付。私としては、「誤解や偏見を極限まで推し進めることで、逆にそれらを超えようと」するクエンティン・タランティーノ監督『キル・ビル』の方が好み。 #haiboku

2011-01-16 01:18:09
倉沢 繭樹 @mayuqix

(2)大塚英志「『戦後史』すら与えられた国で」、『サブカルチャー反戦論』角川文庫、平成15年。大塚は正直に心情を吐露した後で、しかし自分が感じた嫌悪は「戦後史さえも『彼ら』に書かれてしまった自分たち自身への深い忸怩」だと説明している。 #haiboku

2011-01-16 01:19:59
倉沢 繭樹 @mayuqix

その悔やしさは、「仮に勝者の国民が敗者の国民に敗北を『抱きしめて』生きよと語ることの傲慢さを糾弾したところで、敗者であるぼくたちが、敗者である自らをいかに生きたかを歴史として描き出す努力をしてこなかった事実」が厳然としてあるからだ。 #haiboku

2011-01-16 01:22:09
倉沢 繭樹 @mayuqix

(3)しかし、誤解をおそれずに一般論(異文化理解には「危険」が伴う、といった)を述べると、「外国人」の日本(人)観にも注意が必要だ。人類学者のハルミ・ベフは、日本人による日本文化論は「民制教育勅語」だと指摘する。 #haiboku

2011-01-16 01:23:27
倉沢 繭樹 @mayuqix

それを受容した外国人の研究者が書く日本文化論に異なる要素が混じり、日本で翻訳、出版されるとそこで「妙なダイナミズム」が生じる。そしてたとえば、ベフ教授はルース・ベネディクトの『菊と刀』の邦訳がベストセラーになったことに関して、 #haiboku

2011-01-16 01:24:48
倉沢 繭樹 @mayuqix

「白人がこう言ってるんだから、正しいに決まってる」というふうに読まれたと言う(「世紀末ニッポンの肖像」、『SAPIO』1996年4月24日号)。日本人による日本文化論は、本当は日本の「かくありし」姿ではなく、 #haiboku

2011-01-16 01:26:03
倉沢 繭樹 @mayuqix

「かくあるべき」イメージを形成するイデオロギーとして機能していると分析するのが、『イデオロギーとしての日本文化論』(思想の科学社、1987年)。 (END) #haiboku

2011-01-16 01:29:01