最大の敵を自らの内に取り込むのが、お互い安全。ロボットもきっとそう思ってる。互いに懐柔している形。これってハンターハンターじゃんって思う。もともと1つのものだったのが2つに別れて、また1つに戻る。こんだけ。この物語が好きなの。
2015-12-08 05:29:58ちょっと前の人間たちは「ロボットが人を支配する」とか「ロボットが反乱を起こす」とか怯えていたわけでしょう。実際は電力を供給してくれる人間にロボットが擦り寄る形になっているけど、物語的にはお互いが融和していくよね。人間とロボットの区別がつかなくなる。
2015-12-08 05:28:39非劇の対談みて、自分は「人は死ぬ」「人は死なない」どちらにリアリティを感じているんだろうと考えていたらけっこう分からなくて、どちらでも構わないと思っていることにたどり着いた。絶望の処理が可能なら喜んで生きるし、無理なら死ぬ。大差ねー。
2015-12-08 05:24:36今年はSFの年だった。ビッグバンプレスで畑ができ、バック・トゥ・ザ・フューチャーにより承認され、スプラトゥーンで加速し、非劇で着地した。
2015-12-07 22:50:30そろそろ復習のタイミングなので、まずはこちらどうぞ!『非劇 Higeki』対談 平倉圭×岸井大輔×篠田千明 shinodachiharu.com/higeki-taidan-…
2015-12-07 22:34:37【ようこそ2015年へ】こっちの時代では2045年が未来を象徴する年です。シンギュラリティと呼ばれています。分からない言葉は「検索」してみてください。笑わないでください。こっちの時代では「検索」しないと新しい知識にアクセスできないのです。
2015-12-07 20:23:28【artscape 2015年12月01日号(artscapeレビュー)】篠田千明『非劇 Higeki』|木村覚 artscape.jp/report/review/…
2015-12-07 15:44:30悲劇から心を抜いて #非劇 だと考えてみていました。心とは何だろうと思っていましたが、例えばそれは自動販売機から失われた記憶(でしたっけ…)なのかなと。
2015-12-07 15:38:40日曜日に『非劇』公演、終わりました。 ありがとうございしたー。 まだ終わった感じがしないですし、もらったテキストや、そこで日々話したことがまだ残ってます。そこでやれたことや、やれなかったこともあります。 もしもうちょっと自分が出来れば、もうちょっと立ち上がった箇所もあるの
2015-12-03 17:32:04文章の仕事くださーいといっといてなんもないとあれなんで、非劇でけーちゃんのかいた『エフ氏のダンス教室』にあたる文章をあげときます
2015-12-03 02:10:07MOUNERU: 非劇 演出プラン序章 mouneru.blogspot.com/2015/12/blog-p…
2015-12-03 02:08:43「非劇」についてはたくさん喋りたいけれども終わらなくなりそうなので、「多面(的)」と「直面」、「消費」と「消滅」といったあたりのことをぐるぐる沢山考えました。と書いて、ひとまずおさめます。
2015-12-03 02:04:16@taniryu 素直で、まじめな座組だったなあ。 自分でかいた台詞とか自分で組んだ戯曲構造のところだと、演劇として戯曲を超え照らし出しているのが、精密にはっきりするので幸福でしたよ。
2015-12-03 01:51:30@kishiikyoukai 余談ですけど、その辺のバランスのとり方、緻密さはかえすがえすも素晴らしいなと思いました。あと、それを実現するスタッフワーク。ええ仕事みせてもらいました。
2015-12-03 01:42:00@kishiikyoukai さすが岸井さんうまいなー(?)。しかしてあのシーンを客席で、対話する両者を同時に観られていることにこそ、よさがあったと思ってもいます。モノリス(自販機)が常にわたしたちのほうを向いていたのとは、ちょっと違う。
2015-12-03 01:33:151995年は「新世紀エヴァンゲリオン」が放映された年だが、その年の春には「新機動戦記ガンダムW」という少年が自爆テロをやらかしまくるガンダムをやっていたと思うとなんともはやである。まあ僕らの学校は「ママレード・ボーイ」に夢中でしたけども。
2015-12-03 01:22:14@kishiikyoukai ん?むしろ重ねて観た人多かったんじゃないかなーとすら思いましたが。Kindleで貞本版がセールだったので一気読みしたのもあったかも。懐中電灯が個を多面化していく演出はTV版っぽくもあったけど。ぼくのエヴァの記憶も混濁しているので自信ないですが。
2015-12-03 01:03:07だから非劇で「パリ同時多発テロがあったから、あのようなシーンができた」というのは物理的にも観念的にも逆であって、あのようなシーンができてしまうような状態であることを劇場で表現するためのクリエイションを続けていたら、物理的な現実が追いついたのだ。劇場が現実に追いつかれた瞬間である。
2015-12-02 18:10:13「居心地の悪さ」は非劇の大きなテーマの一つであったと思っていて、だからこそ、パリ同時多発テロ以前から決まっていた「劇場で183人の身体がバラバラになるシーン」は、そのまま上演することを決定した。しかも観客が「自分たちが殺されているのだ」と自覚せざるをえない形で、カタルシスと共に。
2015-12-02 18:07:54