ホンダ・スピリッツ~世界一になるんだ!

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ガラケー少佐105号 @gk_shosa105

「日本一になるなどと思うな。世界一になるんだ」(本田宗一郎) こういう気概を持っていたからこそ、日本の企業は成長してきた。 2位じゃ駄目なんじゃない。 1位を目指さないことが駄目なんだ。 pic.twitter.com/mUNRtZHNOO

2015-10-15 15:50:52
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@zolshosa 80年代、モータースポーツの頂点であるF1に、ホンダはエンジンサプラーヤーとして参戦していた。 余りにホンダエンジンが強すぎる為、ルール改正が行われターボが禁止される。 その話を聞いた時の、本田宗一郎の名言。 twitter.com/hondabot001/st…

2015-10-21 13:03:47
本田宗一郎の名言 @hondabot001

ホンダだけがターボ禁止なのか?違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。

2015-10-17 19:42:37
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@zolshosa 1990年、マクラーレン・ホンダで二度目ワールド・チャンピオンに輝いたアイルトン・セナは、FIA表彰式の会場で本田宗一郎氏から「来年も世界一のエンジン作るよ」と声を掛けられ感涙にむせんだという。 pic.twitter.com/3BsXVFIfzh

2015-10-22 12:00:49
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@zolshosa 1991年、マクラーレン・ホンダがウィリアムズ・ルノーの後塵を拝すレースが続く中、本田宗一郎氏逝去の報が入る。 直後のハンガリーGP、セナは喪章を着けてレースに臨み、6戦ぶりの勝利を亡き宗一郎氏に捧げた。 pic.twitter.com/PhtAUOHg2u

2015-10-23 11:42:19
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@zolshosa この勝利はもちろんセナ一人によるものではない。 軽量マシン投入のマクラーレン、懸命の努力でエンジンを改良したホンダ。 「オヤジさんの大好きな一番を勝ち取るんだ」と、スタッフ全員が一丸となって掴んだ勝利だった。 pic.twitter.com/uEFVCHLzj8

2015-10-24 10:10:01
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@zolshosa 1990年頃、バブル期の日本では高級・高性能車が続々と世に出てきていた。 そんな中、ホンダはNAエンジンで280馬力のNSXを発売。 何より、フラッグシップカーがスポーツカーというのがホンダらしいと思った。 pic.twitter.com/FBiZygZ1Bp

2015-10-24 11:19:05
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@zolshosa NSX発売後、フェラーリ348と比較する記事がカー雑誌で多く見られた。 ホンダはF1ではフェラーリともライバル関係だったが、市販車において国産車がフェラーリと比較されるようになったのはこの頃からだったと思う。 pic.twitter.com/dqOHrkke7r

2015-10-24 12:05:33
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@zolshosa 1991年にはビートを発売。 軽でありながら、ミッドシップ、ツーシーター、フルオープンという何とも贅沢なパッケージングのこの車は、経済性最優先という軽自動車の概念そのものを変えた一台ではなかっただろうか。 pic.twitter.com/fPedq0SFm3

2015-10-24 16:08:08
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@zolshosa 本田宗一郎氏逝去の翌1992年、ホンダはF1活動休止を発表する。 コメントを求められたアイルトン・セナは、目を潤ませてホンダへの謝意を述べ、涙を拭いながら走り去って行った。 その姿が今でも強く印象に残っている。 pic.twitter.com/yq6oxnG78l

2015-10-24 17:01:37
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@zolshosa ホンダ鈴鹿ラストランとなった日本GP… 日本のファンへのプレゼントと言って、セナは母国ブラジルカラーのヘルメットに日の丸をつけてくれた。 ホンダを、鈴鹿を、そして日本を愛してくれたその心を、私は決して忘れない。 pic.twitter.com/P4r9k1n5FG

2015-10-24 17:56:44
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@zolshosa その年の最終戦オーストラリアGP、セナはリタイヤに終わるが、チームメイトのゲルハルト・ベルガ―が優勝し、ホンダ有終の美を飾ってくれた。 いつも、ここぞという時に決める男、ベルガ―。 セナと同じ位好きだったな…… pic.twitter.com/zBt6Ra81M1

2015-10-24 20:40:10
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@zolshosa ホンダF1といえば、やはりこの人抜きには語れない。 日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟。 彼が最初にドアを開き、後に続く日本人F1ドライバーが何人も誕生した。 偉大なる先駆者に、心から敬意を表したい。 pic.twitter.com/MbwfALWnV7

2015-10-25 12:56:43
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@zolshosa 中嶋はF1デビュー時、既に34歳。 体力的な問題もあり、F1での最上位は4位に留まった。 しかし、2年間チームメイトだったピケはこう語る。 「あの頃からF1にパワステがあれば、サトルは何度も表彰台に乗ってたよ」 pic.twitter.com/1lXAbCuQaq

2015-10-25 13:13:06
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@zolshosa F1休止後、バブル崩壊による販売不振に喘いでいたホンダを救ったのは、1994年に発売されたオデッセイだった。 乗用車ベースで開発され、走行性と広い空間の両立がウケて大ヒット。 この国を走る車の形を変えていった。 pic.twitter.com/a3sXkzE6x3

2015-10-26 11:54:03
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@zolshosa 7年間の活動休止を経た2000年、ホンダは再びF1の舞台へ帰ってきた。 BARへのエンジン供給とシャシーの共同開発という形で始まったホンダF1第三期は、2006年からオールホンダチームへと姿を変えることになる。 pic.twitter.com/r4kuf5CVNz

2015-11-04 18:47:34
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@zolshosa そして、その時は来た。 2006年ハンガリーGPで、ホンダエンジン14年振り、オールホンダとしては39年ぶりとなるトップチェッカーを受ける。 優勝コンストラクターの国歌として、「君が代」がF1の表彰式に流れた。 pic.twitter.com/2a6PFjHih1

2015-11-04 19:32:31
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@zolshosa ビートの生産中止から19年の時を経た今年、後継車S660が正式に発表発売された。 スポーツカーでも環境性能を無視できない時代になってしまったが、誰も彼もがエコ、エコ言ってる中、こういうクルマの登場は実に嬉しい。 pic.twitter.com/OkZqnZsaqJ

2015-11-30 12:17:35
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2015年、6年のブランクを経てF1に帰ってきたホンダ。 かつて共に黄金期を築いたマクラーレンと組み、アロンソ、バトンという二人のチャンピオン・ドライバーを擁しながらも、復帰初年度は下位に低迷した。 今年こそは躍進を期待したい。 pic.twitter.com/tcKSE5zrIe

2016-03-12 16:27:29
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ガラケー少佐105号 @gk_shosa105

F1GP・2006シーズン、マクラーレン・ホンダは現在コンストラクターズランキング7位。 ようやくトップ3チームの次席を争うまでになってきた。 尻上がりに結果を出して、後の黄金期へのプロローグとなった1985年の再現を期待したい。 pic.twitter.com/mPVVlz42Qb

2016-08-05 13:50:37
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