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世界で最も神さまに試練を与えられた国のはなし。
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メロンパンフェスとコンゴの話。 アフリカなんて、一生いかないと思っていた。ある日、動画で携帯電話のレアメタル採掘について知った。コンゴは、コルタンなどの埋蔵量が多い。それが紛争の資金になっている。み
2015-12-04 19:57:01![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
無意識に誰かかを傷つけてるかもしれない問題。知らずに携帯電話を使うことが、コンゴの紛争鉱物などの問題につながっているかもしれない。 そのことを考えて、コンゴの問題を考える団体を立ち上げた。 ただ、関心のある人にしか届かない活動だった。
2015-12-04 19:58:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
コンゴの問題を人に届けることの難しさを感じていたとき、メロンパンを食べた。英治出版の昼休みにメロンパンを食べていたとき、メロンパンならコンゴのことを何とかできるのではないか、とひらめいた。 そこから、メロンパンフェス、世田谷パン祭りにつながった。
2015-12-04 20:00:43![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
コンゴの問題を人に届けることの難しさを感じていたとき、メロンパンを食べた。英治出版の昼休みにメロンパンを食べていたとき、メロンパンならコンゴのことを何とかできるのではないか、とひらめいた。 そこから、メロンパンフェス、世田谷パン祭りにつながった。
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コンゴのことを何とかしたいと活動してきた中で、コンゴにいったことがなかった。何とか行きたいとしてきたが、女性にとって性的暴力などが横行するので、止められてきた。が、大津さんによりスタディーツアーとしていくことができた。
2015-12-04 20:02:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
コンゴにいったが、ルワンダの時間も長かった。 タラマ協会。1994年ルワンダのジェノサイドの現場。とても虐殺があったと思えない場所。中で亡くなった犠牲者の衣服が壁一面につるされていた。頭蓋骨が並んでいた。
2015-12-04 20:05:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
タラマ協会では、びっくりするほど拍子抜けした。人の亡くなった抜け殻をたくさん見たが、何も感じなかった。知らない人が何千人もなくなったことを悼むことができず、知っている一人がなくなるほうが悲しいのかな、と思った。
2015-12-04 20:07:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
知らない人が何万人もなくなっても悼む気持ちを持たず、知っている人がなくなると悲しい、それぞれにとって命の重さが違うのは当然かもしれない。
2015-12-04 20:08:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ムトボ除隊センター。施設内に元兵士の方や家族が生活している。元コンゴ兵士の方に話を聞いた。紛争の時にコンゴにいて、職業訓練をしている。政府軍が負けて森の中で21年間も暮らしていた方から話を聞いた。森の中で生活が困窮し、奥さん子供は死んでしまった。
2015-12-04 20:10:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
もとFDLRの方の話を聞いた。書籍「私は走ろうと決めた」の中でFDLRの怖さを知っていたので、不思議な気持ちになった。 人を殺した時にどう思ったか、と聞かれたが、答えに困っていた。 センターの人が、彼は人を殺すことが日常だったので、特別なこととして聞かれて困惑していた。
2015-12-04 20:13:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
法学、犯罪学でなぜ人を殺してはいけないのか、を学んでいるが、コンゴでFDLRの人と接したときに、環境が違えば自分だって人を殺しているかもしれないと思った。残虐なことが当たり前の環境なら。私もきっと、人を殺すことができると思った。
2015-12-04 20:15:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ルワンダからコンゴに近づいていく。ゴリラを保護する国立公園などもあり、観光客が来ていた。幼稚園の子たちが先生と遊んでいるが、英語を覚えるための英語の歌だった。
2015-12-04 20:17:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ルワンダの人は日本を知らない。中国の人が建設などでたくさん働いているので、中国人だと思う。 pic.twitter.com/xyj17zqYL2
2015-12-04 20:19:31![](https://pbs.twimg.com/media/CVYKuT0UEAAtJcy.jpg:medium)
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コンゴに入国する前の日に、恐怖で目が覚めた。大切な人がつぎつぎに殺される夢をみた。コンゴに行くことがすごく怖かった自分を知った。こんなに心細かったのは初めてだった。
2015-12-04 20:22:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
コンゴには数時間しかいられなかった。国連軍やNGOがたくさんいる国境だった。 そこから、ヒールアフリカというNGOの施設に行った。
2015-12-04 20:23:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
女性が職業訓練の一つとして裁縫を学び、民芸品を作っていた。子供たちの遊具や遊び場もあった。一見日本と変わらないが、遊具で遊んだりダンスをすることで、自分のトラウマを外に出す活動だった。
2015-12-04 20:24:43![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
大津さんから。 人間って生きる中で問題を発見する、それを自分の問題として意識する、なぜかなと思う、学ぶ、その中で成長する。そのプロセスのない人は人の悲しみや辛さの共感・シンパシーが生まれないと思う。
2015-12-04 20:27:37