茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1671回「ターナー賞について」
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日本の美術界において、いわゆる「公募展」が、新しい芸術を生み出す場としてはもはや機能していないことは公然の秘密になっている。国立新美術館が公募展の貸ギャラリーでもあることは、美術の裾野を広げる意味はあってもフロンティアにはならないだろう。
2015-12-08 06:46:02日本にも、英国のターナー賞のような現代美術の賞が必要だと思う。今年のターナー賞は、建築家集団のAssemblyに決まった。 theguardian.com/artanddesign/2… 常にアートのフロンティアを広げるターナー賞の面目躍如である。
2015-12-08 06:47:44ターナー賞は、常に、論議を呼ぶ選択をしてきた。既存のアートの枠組みの中で誰もが称賛するようなものは、フロンティアではない。むしろ、賛否両論を呼ぶような作品を選ぶのではなければ、そもそも賞としての価値がない、とさえ考えているように見える。
2015-12-08 06:48:57今年のターナー賞に選ばれた建築家集団Assemblyは、住民といっしょに住宅の改築をする仕事をしており、すでに確立されたアート市場の論理とは真逆だと見なされている。だからこそ、既成の価値観に対するすぐれた批評性を持つと言うことができるだろう。
2015-12-08 06:50:39ターナー賞のバランスがいいのは、先端のアートに与えられる批評的な賞でありながら、英国美術界における確立された偉人であるターナーの名を冠しているところである。今は論議を呼ぶような先端的な表現が、やがて古典になるというアート界の新陳代謝を簡潔に表している。
2015-12-08 06:52:07考えてみれば、ターナー自身の絵も、印象派に先立って古典的な絵画技法を超えた新しい画法を示したという意味において、当時においては革新的で、保守派の顰蹙を買うものであった。アートは、保守派の顰蹙を買うフロンティアによってこそ、そのスペクトラムを広げてきたといえる。
2015-12-08 06:54:17日本にも、ターナー賞のようなアート・プライズがあったらと思う。たとえば、今や古典だが当時は革新的だった表現者として、伊藤若冲の名を冠して、若冲賞とする。毎回予定調和ではない、批評的な選択を重ねていけば、日本のアート・シーンはさらに活性化して、作家たちにとっても励みになるだろう。
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