初期西村京太郎「冒険」小説試論

#初期西村京太郎を読んでみた という企画で西村京太郎の初期作品を読んで、その中で何度も描かれる「冒険」という概念の変遷について考えたことをちょっとまとめてみました。冒険小説分野に詳しい人による、より詳細な分析をお願いしたいです。
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まとめ #初期西村京太郎を読んでみた トラベルミステリーの大家・西村京太郎が、大ベストセラー作家になる以前の初期作品群は実際のところどのくらい面白いのか? 西村京太郎を読まず嫌いしていた新本格世代が実際に読んで確かめてみました。 28252 pv 79 12 users 2
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

昨日お届けした #初期西村京太郎を読んでみた ですが、この企画で西村京太郎の初期50作を一通り読んで、西村京太郎作品に描かれる「冒険」という概念についてちょっと考えたことを以下 #西村京太郎初期冒険小説試論 タグで放流します(せっかく書いたので)。

2015-12-15 00:14:34
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

初期西村京太郎のキーワードとして「冒険」があります。例として『ある朝 海に』ではアパルトヘイト問題に抗議し国連を動かすために各国の若者がシージャックを計画し、『脱出』では日本社会の閉塞性に苦しむ混血児をブラジルに逃がすために4人の若者が手を貸します。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:15:32
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

これら最初期(71年)の「冒険」ものの「正義や理想の実現のためには犯罪行為も辞さない」という価値観は、学生運動の末期という時代背景を色濃く反映していると言えるのではないでしょうか。当時の「冒険」とは「既成のシステムを打破して信念を通す」ことだったと。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:16:36
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

しかし、あさま山荘(72年)あたりを区切りに西村作品でも「信念のための犯罪」の扱いが揺らぎ始めます。象徴的なのが73年の『殺人者はオーロラを見た』でしょう。アイヌ民族問題を扱ったこの作品は、アイヌの青年のドン・キホーテ的な戦いを描いた作品です。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:17:06
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

この作品ではかなりの部分で強くアイヌへ肩入れしながらも、犯人の青年の行いは「信念に基づいた(本心では肯定したい)しかし罰されるべき過ちである」という、西村京太郎本人の「冒険という名の犯罪」に対する揺らぎが非常によく見てとれる扱いをされています。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:18:07
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

70年代半ばを過ぎると、西村京太郎作品の「冒険」は変質していきます。たとえば75年の『聖夜に死を』は現金強奪計画を扱ったクライムノベルですが、この犯行グループには『ある朝 海に』や『脱出』のような何らかの信念や意志はなく、ただの犯罪として描かれます。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:18:31
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

その転換点として位置づけられる作品が77年の『発信人は死者』。前半の宝探し冒険小説から、後半でクライムノベルへと転調する長編です。本作で「冒険」に挑む3人の若者もやはり、安保時代のような何らかの主張や信念は一切持たない刹那主義者として描かれています。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:19:14
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

安保時代のような信念を持たない若者の「冒険」をどう正当化するか。『発信人は死者』はそこで「復讐劇」という選択をしました。本作は十津川警部が脇役で登場し主人公たちを追いますが、その十津川の立ち位置に西村の躊躇いが如実に表れていると言えます。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:19:52
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

学生運動が過去となった70年代後半では、安保時代のような「冒険」はもはやただの「犯罪」でしかない。それを肯定的に書くべきか否か、という迷いの表れが、『発信人は死者』における十津川の立ち位置である、と言ってしまっていいと思います。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:20:28
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

翌78年には『炎の墓標』『現金強奪計画』が刊行されました。『炎の墓標』は、大企業の海外での横暴に怒った若者による犯罪を十津川警部が追いますが、本作は『発信人は死者』とは逆に十津川が主役を張り、犯人の「主張」は十津川の陰に隠れてしまいます。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:22:01
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

『炎の墓標』において、「冒険」=「信念に基づいた犯罪」に挑む犯人側ではなく、それを取り締まる権力側の十津川が主役に置かれたことは、西村の「冒険」への認識が決定的に「結局は犯罪に過ぎない」という方向へ流れていったことを示していると言えるでしょう。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:22:23
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

その西村が、最後に「冒険」を肯定的に書こうとしたのが『現金強奪計画』。本作の犯人グループにも、やはり「信念」はありません。本作のラストは、かつて西村が書こうとした「冒険」は、もはや日本では成立しないのだ、という西村の思いが表れているのでしょう。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:22:45
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

同じ78年、西村は『寝台特急殺人事件』の大ヒットで一躍名を挙げます。その西村が、続くトラベルミステリー第2作として79年に発表したのが『夜間飛行殺人事件』。そしてこれが、ここまでの流れからの必然として、西村「冒険」小説の掉尾を飾る作品となりました。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:23:32
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

『夜間飛行』は後半である社会問題が浮かび上がり、犯人グループの目的は、それへの対処を日本政府に訴えることです。この構図は完全に『ある朝 海に』の再来なわけですが、本作はそれが完全に、十津川警部というフィルターを通してのみ描かれます。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:23:49
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

『炎の墓標』ではまだ犯人側の視点があり、そこに西村の「冒険」への未練がありました。しかし『夜間飛行』は(商業的要請も大いにあったでしょうが)犯人たちの主張の正当性は、あくまでそれを防ごうとする十津川警部の視点を通してしか描かれません。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:24:30
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

ここにおいて、初期西村作品における「冒険」は完全に、取り締まられるべきただの「犯罪」となりました。『夜間飛行殺人事件』のラストの一文はそのまま、西村京太郎の「冒険」への未練を断ち切る言葉である、と受け取ってしまって構わないでしょう。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:25:20
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

70年代の終わりとともに、西村京太郎にとっての「冒険」の時代は終わったのです。『21世紀のブルース』で21世紀の「冒険」を夢見た西村京太郎の「冒険」への憧れは、21世紀の到来よりも20年も早く終焉を迎えてしまったのでした。 #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:30:57
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

この後、80年代には冒険小説ブームが来るわけですが、船戸与一、逢坂剛などそれを牽引した冒険小説群の舞台は海外でした。70年代西村京太郎「冒険」小説は、「日本国内で「冒険」は成立するか」という模索と挫折の過程とも言えるのではないでしょうか。(了) #西村京太郎初期冒険小説試論

2015-12-15 00:32:12