- sweetener_tktn
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人形における衣装の役割の果たすところは、とどのつまり「裸体の回避」であるという点において、彫像芸術作品が人間の造形そのものの美しさ、自然美への讃歌と対極を成していると言えるのではないか 人形は己の持たざる羞恥を人間に託し、人間は原始の人間の視点で彼らに服飾を施すのではないか
2015-12-13 16:52:24着せ替えという服飾に重点を置いた人形が発達した歴史をかんがみる限り、服という人形そのものに対する付属的な呪具が持ちうる意味は大きくなる
2015-12-13 17:02:25概念的な人形と言えば用意された二次元上のキャラクターたちもある種の人形的役割を十分に果たしていると言えるのではなかろうか そのキャラクターたちは己が纏う服飾を含めてキャラクターであり、我々によって裸体を回避させられていると同時に、不自然なまでの造形を讃えるよう強いられている
2015-12-13 17:11:02キャラクターの持ちうるすべては全て我々に差し出されるべきものなのだという概念 人形がつまり、我々の激しい感情(それは往々にして愛であり憎悪であり嫉妬であり自らの理想の性愛である)の向ける先、その介在物であることが自明の理であるから、彼らは人形の役どころをきちんと理解しているのでは
2015-12-13 17:15:25ゲーム業界の言葉で、ある二次創作が一次創作を凌駕しあたかも同一存在(あるいは設定)であるかのように人々の間で振舞い始め本来の一次創作に影響が出るのを「ナラティブの所有権の移行」というらしい ちょっと解釈が違うかもしれんけども、落ちた葉が根を喰らうような概念だなと思う
2015-12-13 17:23:08人形が作り手(古来から現在に至るまでそれは使用者を兼ねることが大半である)の「人間性」を保つために急ごしらえに作られ、そして用が済み次第捨てられていった過程を踏まえて、我々に人形と同じく「消費」されていくキャラクターたちは我々の欲求を満たす以上の役割、その先の為の介在物か問いたい
2015-12-13 17:34:35人形という介在者が、他者・自己・他人として振舞う自己の一つの結節点である以上、鏡と同じような意味合いを持つと言っていいけども、それ以上に像に依らない物理的な存在であるということは、自己の精神をより明確に形付ける契機になる、と
2015-12-13 17:51:41二次創作をやっていると、その設定がオリジナルであるかのように振舞いだすその経緯について考え始めてしまう そうして我々は内面の人形に覗かれるのだ、お前は誰だと
2015-12-13 18:59:47分かってはいるんだけども、人間ではないものに問いかけられるというシチュエーションはありえないと、わかってはいるんだけども、時たま原始的な恐怖に駆られる フィギュアやポスターの人物の視線が異状に怖くなってしまう 人ではない人の目線が常に自分へと問いかけている お前は誰だ、俺は誰だ
2015-12-13 19:09:14人形は自己表現と言って自己実現や自己評価のためのツールとして確立しつつある 人形はそれそのものを指すのではなく、人形の持ちうる要素を備えるすなわちミームとしてあらゆる生活圏内に入り込んでいる
2015-12-13 19:12:12いつかどこかで、人形たちが自分たちの「人格」を返してくれって、言いに来るんじゃないかって そう思ってしまう
2015-12-13 19:24:08人形に過剰な人格を与えそれを怖がるという一連の行為は、自分が他者にどう思われているのかを考えるのが怖いという行為に他ならない 人形という己ではない肉体を持つ自己を覗き込んで、自己に覗かれていると同時に自己に排除されて続けていく
2015-12-13 19:28:28これまで人形について淡々と語ってきたけど、結論としては おてぎね君総受けのアンソロめっちゃ読みたいなあってことなんですよ
2015-12-13 19:35:44ああああああああああああああああああああえっちな二次創作が楽しいねえええええええええええええええええええええええええええええええ
2015-12-13 19:35:56人形と他者と自己の強固で頑然たる違いって、実は非常に曖昧模糊とした柔らかい線引きでしかない 他者の中の自分がどうして自分ではないと言い切れるだろうか
2015-12-13 20:13:30生とは、死とは一体何なのか 死してなお我々は何を残すのか 家族という概念に組み込まれた一個人が、社会の縮図ともいえるその最小単位の中で、一種の文化として在り続けることに、なぜ我々は疑問を挟めないのか? 個々人が社会のミームであるとするならば何故我々はマクロであり続けられないのか?
2015-12-27 23:11:10最小単位の内側において不穏分子あるいは異端分子とされた人間が、より大きな社会規範に組み込まれたときに個を保ち続けることができないといわれるのはなぜか?
2015-12-27 23:13:08文化の構成員としてあり続けられない以上、その社会のおいては放浪者であり排斥され続けるのを享受するのが義務であると同時に、自分が他者ではないと主張し続けることができる唯一の権利に他ならない
2015-12-27 23:17:26他者に語られ続けることが個々人が自意識を保てる唯一の方法であり、放浪者はその術を自ら手放すことで延々と語り続ける他者の視点から守られる だがそれが個々人が自分を語りだすための第一歩になることは決してないのだ
2015-12-27 23:31:02自我の存在を自己が確かめた瞬間が己の出発点であるならば、我々の在り様というのは胡蝶之夢のようなもので、いつ始まったのかもわからずいつ終わるとも知れない冗長で短命な物語をじっと個室に閉じ込められた状態で延々と見せられているようなものだ
2015-12-27 23:34:43我々が他者を認識する際に必ず終わりと始まりがある きちんと終わることが大前提の始まりのはずなのに、なぜ我々は自分自身の終わりと始まりを認識し得ないのか?
2015-12-27 23:36:49個が自我の存在を認識できる瞬間と、個の存在の始まりとの間にある歴然とした認識のズレ その時間差そのものこそが、真の自己であり自己の内にある他者の視点を排斥できたわずかな時なのではないか
2015-12-27 23:39:28