『あさか由香物語』(日本共産党・参議院神奈川選挙区)
- kurashi_mamoru
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ところが、01年3月23日、あさかさんを悲劇が襲います。留学中の、あさかさんのもとに家族全員が合流し、ドライブをしていたときでした。交通事故に遭い、母、兄、妹を一度に失ったのです。この日はあさかさんの誕生日でした。 @asakayuka
2015-12-28 10:35:21帰国した、あさかさんは、家族を救えなかった怒りと悲しみでいっぱいに。命の尊さ、家族の大切さを痛感させられました。 そんなときでした。9・11同時多発テロが起きました。そして、米英両国によるイラク戦争が始まりました。 @asakayuka
2015-12-28 10:35:57「人の命を何だと思っているんだ。戦争で殺されるのは一般の家庭。絶対に許せない」。心の中で叫び、イラク戦争反対の運動に飛び込みました。 @asakayuka
2015-12-28 10:36:19【戦争止めたい】 家族3人を失った事故から1年が経ったころ、3人を追悼する文集「かけぬけて 風よ」が実行委員会から発行されました。 @asakayuka
2015-12-28 10:38:14「みんなが3人から学んだことや、ともに経験したことを今後の人生にいかそうとしている。私も頑張らないといけない」。あさかさんは文集の制作過程で、前向きのエネルギーをまわりの人からもらいました。新日本婦人の会などで活動した母の金谷博子さんの生き方にも触れました。 @asakayuka
2015-12-28 10:38:55あさかさんは、文集に、こう書きました。 「私を、私の生き方を見ていてください。お母さん、何処にいても、自慢できるような娘でいるように頑張ります。自分の幸せのためにもね。そして、いつかお母さんのように皆から感謝されるような人になりたい」 @asakayuka
2015-12-28 10:39:16その後、あさかさんは、戦前から戦争反対を貫いた日本共産党に入党しました。「戦争を起こすアメリカをストップできる日本に変えたい」と。 @asakayuka
2015-12-28 10:39:47【仲間に支えられて】 大学卒業後は、IT企業のシステムエンジニアとして働き始めました。職場は、長時間過密労働で、休みも取れない忙しさでした。あさかさんは、夢を思った同僚が倒れる姿を見て碇を燃やします。 @asakayuka
2015-12-28 10:40:07日本民主青年同盟の活動にも積極的にかかわるようになり、お仕事実態調査や青年大集会の取り組みを広げました。 失った3人分の人生を生きようと自分を削るように必死に活動しました。「家族のような仲間に支えられ、気負いなく生きられるようになりました」と振り返ります。 @asakayuka
2015-12-28 10:41:52「由香さんは相手の気持ちを引き出すことができる人。次第に仕事や恋愛などの相談を仲間からされるようになりました」と話すのは、ともに活動した恩田和枝さん(36)です。「候補者になることを決めた由香さんの覚悟を、選挙でたたかうことで仲間のみんなと共有したい」 @asakayuka
2015-12-28 10:42:16あさかさんはいいます。「まじめに働いたら普通に暮らしていける社会にしていきたい。サービス残業や長時間過密労働、ブラック企業を規制し、人間らしい働き方を保障するルールをつくるために力を尽くします」 @asakayuka
2015-12-28 10:42:53『新かながわ(@Shinkana_1965)』に掲載された、参院神奈川選挙区あさか由香(@asakayuka)の紹介記事、「あさか由香物語」【②人間らしい働き方】を連ツイしました(4回連載)。また余裕があるときに投稿します。「怒り」→「碇」になっていたり、誤字・誤変換はご容赦を。
2015-12-28 10:44:48