認識と言葉と記憶

認識と言葉。@Yam_eye 山中俊治さんのツイートまとめ。 他人の顔、言葉にすると忘れる?=コンピューターで初めて再現-名古屋大 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015082900034
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山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

香りの専門家である農学部の東原先生にお会いした。「ニオイは認識の問題と深く関わっていて、『◯◯のニオイだ』と言葉を与えられた途端にそうとしか思えなくなる」と先生は言う。しかし「言葉を与えることでニオイを深く味わったと言えるかどうかはわからない」とも。実に深い。

2015-12-29 09:12:50
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

【承前】言葉を与えることで体験を定式化してしまう傾向は視覚にもある。これは鶏だ、と認識した瞬間から人は鶏の細部を見ない。その鶏は過去に出会ったどの鶏とも違うはずだがその差異には頓着しない。この分類定式化は人の優れた情報整理能力でもあるが、結果的に言葉はしばしば観察を妨げる。

2015-12-29 09:19:42
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

【承前】東原先生のニオイの話を聞いて、言葉を与えることによって体験を損なっている可能性について考えた。ワインの香りについて分析的な言葉を聞くことは結果的にその複雑な体験を平板にしてはいないか。美術品についての知識は美的体験を単純化させてしまうのではないか…。

2015-12-29 09:26:20
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

【承前】作り手にとっては言葉は有用である。言葉を与えることによって、感覚的な創作のポイントが明快になり、自覚的に強化することができる。デザインにおいてはそれを「コンセプト」と呼んだりする。しかしそれをそのまま鑑賞者に伝えることは鑑賞体験を平板にしてしまうかもしれない。

2015-12-29 09:31:28
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

【承前】などと思索にふけっていたら、「今日は元気がないですね、お疲れですか」と言われてしまった。思索もまた食事をスポイルするのかもしれない。

2015-12-29 09:33:10
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

.@miyukikatori 学生にスケッチを教えるときは言語的理解から離れるように指導しています。「指」じゃないものとして描くほうが指の形を素直に見ることができるから。でもそれは言葉が重要でないという意味ではありません。重要だからこその、リマッピングだと考えています。

2015-12-29 11:10:49