佐藤正美Tweet_20151216_31

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佐藤正美 @satou_masami

「うまくいっている」企業というのは、仕事場(workplaces)が静かです。というのは、仕事がルーチン化されているので、だれが、どういう手続きを、どのようにして進めるか が具体的になっているから。

2015-12-23 20:03:45
佐藤正美 @satou_masami

「うまくいっている」という意味は、「環境の変化に対応して、事業を調整する」ことや「新しい事業を起こして、新しいマーケットを創る」ことが実現されていることをいい、かつ、それらの事業が、(成長段階に入ったときに)ルーチン化されているという意味です。

2015-12-23 20:07:09
佐藤正美 @satou_masami

ルーチン化は、もし、環境の変化に対する適応を疎かにしたら、じわじわと形骸化に陥ります。大きな組織というのは、ルーチン化された手続きが網のように広範に張りめぐらされているので、環境の変化に対応するために、ルーチン化された手続きを変更・調整するには、膨大な労力を要します。

2015-12-23 20:10:10
佐藤正美 @satou_masami

組織が、もし、かつて、大きな成功を経験していたら、過去の成功体験をルーチン化した手続きが、うっかりすると――成功体験が強烈であればあるほど、あるいは、いままで、右上がりの継続的な伸びを経験してきていればいるほど――、今の環境のなかに潜んでいる変化の兆しを軽視するかもしれない。

2015-12-23 20:13:12
佐藤正美 @satou_masami

環境の変化と成功体験がズレてきて戸惑いを感じたときでも、社員たちは、みずからの不安を抑えるために、「いままで、この やりかた で ちゃんと対応できた」と、みずからの やりかた が正しいことを鼓舞するかもしれない。

2015-12-23 20:15:14
佐藤正美 @satou_masami

事業の有用性が環境の変化に対して乖離しているにもかかわらず、いっぽうで、事業を担っている社員だちが今まで達成してきた成功に対して自負を抱いている組織は、組織外にいる人たちにはわからない。事業が環境に対して的確に適応しているかどうかは、実データを正確に分析しなければわからないから。

2015-12-23 20:18:10
佐藤正美 @satou_masami

事業の有用性が環境の変化に対して次第に乖離しているにもかかわらず、いっぽうで、事業を担っている社員がちが今まで達成してきた成功に対して自負を抱いているような組織では、もし、手続きがルーチン化されているのであれば、手続きの力と社員自身の実力を混同してしまっているようです。

2015-12-23 20:21:03
佐藤正美 @satou_masami

社員たちが いままで達成してきた成功に対して自負を抱いたまま、「外(そと)からきたコンサルタントが、この事業をやったこともないくせに」と侮れば、それを覆す積極的な事由――少数ながら改善に前向きな人たちがいるとか――がない限り、私は契約しない。

2015-12-23 20:24:06
佐藤正美 @satou_masami

われわれコンサルタントは、「(その事業のなかで使われてきた)実データ」を凝視しているのであって、われわれの思い込みで――あるいは、われわれの過去の経験で――事業に対して意見を述べているのではない。

2015-12-23 20:25:57
佐藤正美 @satou_masami

私は対話形式を好んでいます。対話のなかで得た着想を詳細に詰めて彫塑のように刻んで――定義や体系として――整えるには、一人になって、孤独のうちに進めるしかないのですが、新たな思考の足場を組んだり、すでに整えられている体系を さらに拡げるためには、対話は役立つ手段だと思います。

2015-12-23 20:29:17
佐藤正美 @satou_masami

対話形式が多人数になれば、「研究会」や「学習会」のような形式になりますが、うっかりすると、それらの「会」が(同じ考えかたを持った)身内のみがあつまって自画自賛の会になったり、一人の中心人物を核にした崇拝の会になったりして、閉鎖的な会合に成り下がる事態に陥ることがあります。

2015-12-23 20:32:58
佐藤正美 @satou_masami

一人の強い個性が「権威」として1つの新説を整えるというのは、(学問体系に地殻変動をもたらす・歴史に遺るような天才を除いて)まず、あり得ないことであって、一人の貧弱な思考を起点にした我流なんか捨てて、みずからを「学問の家に投げ入れて」研鑽するのが「学ぶ」という原義でしょう。

2015-12-23 20:39:37
佐藤正美 @satou_masami

すべての人たちが――教師であれ、生徒であれ――学問のなかでは同じ学徒のはずです。身内があつまった会では、教師は生徒たちよりも専門知識が豊富なので、教師は うっかりすれば、まるで、みずからが そうとうに実力があるように錯覚して(自惚れて)しまう危険性が高い。

2015-12-23 20:43:39
佐藤正美 @satou_masami

みずからの考えのほうが優れていると思い込んで相手を論破してやろうという下心を持った「下衆(げす)い」ヤツとは対話したくないけれど、「学問の精神」を前提にしていれば、私は、私の考えと正反対の考えを持っている人と対話するのが愉しい。

2015-12-23 20:47:08